表紙

 お志津 161 もつれた愛



 今度は志津が言葉を失う番だった。
 奇妙なことに、驚きはそれほどなかった。 無意識に心の奥底で、何かを悟っていたのだろう。 梨加のなみなみならぬ志津に対する憎しみは、普通では考えられない態度だった。
 しばらく、二人は黙って歩き続けた。 それから唐突に志津が立ち止まり、すぐ気づいて振り向いた敦盛に、渾身の力でしがみついた。
 二人は鼎〔かなえ〕山のふもとに差しかかったところだった。 久しぶりに懐かしい出会いの場所へ行ってみようということになって、これから登る途中だったのだ。 冬の最中で田んぼは水を落とし、寒々と空っ風が吹き抜けていて、人の姿はどこにも見えない。 だから志津は遠慮なく、恋人に想いをぶちまけることができた。
「あの人も敦盛さんが好きだったのね!」
 敦盛は大きな体を折り曲げるようにして、志津の首筋に顔を埋めた。
「誘いをかけられたのは三年前だ。 考えてもいなかったから、驚いた。 まだ子供なのにと思ったが、いつの間にか十五になっていたんだ」
「その頃からすでに綺麗だったでしょう?」
 嫉妬に聞こえるとわかっていたが、志津はそう訊かずにはいられなかった。 敦盛は彼女の襟首に唇をそっと置いてから、低く答えた。
「菊人形のようだと言われていたよ。 ぱっと派手やかだと」
 声がいくらか辛辣〔しんらつ〕になった。
「着飾っていつも出かけたがっていた。 芝居見物や百貨店での買い物が大好きで、よく誘われたよ。 口実をつけて断るのが大変だった。 僕とはまったく気が合わない子だと、ずっと思っていた」
 確かに敦盛は地道な性格だ。 だが戦争前、洋装で学校に来たときの彼は、ほれぼれするほど格好よかった。 先生方も見とれていたぐらいだ。
「あなたと一緒に歩きたかったのよ」
「なぜ? 大きいからか?」
 敦盛は苦い笑いを漏らし、志津をひょいと持ち上げて近くの柵に座らせて、自分も横に寄りかかった。
「それならもう心配ないな。 傷病兵なんて見向きもしない性格だから」
 そうなったのは誰の責任だろう。 志津は激しい怒りをこらえた。 梨加は敦盛を傷つけただけではない。 殺そうとしたのだ。
「きっと男の人にふられたのは初めてだったんでしょうね」
「どうかな」
 敦盛はぽつりと言った。
「男がみんな華やかな美人に夢中になるわけじゃないさ」
 そして、思いがけない言葉を付け加えた。
「たとえば名木先生にしたって、梨加に逢ってもやっぱり君を選んだと思うよ」
 志津は閉口して、敦盛の袖を掴んだ。
「先生は私を選んだわけじゃないのよ。 ご実家から早く結婚しろとせっつかれていて、たまたま私がそばにいたから」
 敦盛は奇妙な声で笑い出した。
「あの毅然とした人が、たまたま? そんなことはありえない。 あの人は君を望んだんだ。 熱烈な愛情ではなかったかもしれないが、誰よりも君と一緒になりたかったのは確かだ」







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