表紙

 お志津 160 婚礼までに



 冬の日没は早く、志津が敦盛に送られて家についたとき、すでに外は真っ暗だった。
 峰山邸は静かで、冷たい風が吹きぬける前庭はきれいに掃き清められ、時おり乾いた土が薄く舞うだけで、雪が降った気配はなかった。
 直造が裏から出迎えに来たので、志津は何となくほっとして挨拶した。
「ただいま。 こっちは雪がないわね。 都心には少し積もっていたのよ」
「へえ、すぐ近くでも天気が違うもんですなあ」
 直造は元気に答えて、二人に付き添うようにして玄関まで歩いた。 もう機嫌は直ったらしい。 縁だから仕方がないとあきらめたのだろう。
 玄関の中には、母が出てきていた。 敦盛は思ったより遅くなったことを詫び、家族が大喜びで志津を丁重に迎えたことと、できるだけ早く挙式したい希望を伝えた。
 咲は、ともかく上がってくださいと敦盛に勧めたが、敦盛は固く遠慮した。
「こちらのお宅は名木先生がお継ぎになるのですから、勝手に出入りはできません。 今日はここで失礼させていただきます」
 そう言って、志津に心の篭もった笑顔を残して、敦盛はそのまま屋敷を出て行った。


 翌日から、両家の間は封書のやりとりで山ができるほどになった。 敦盛は忙しく働くかたわら、時間を見つけては手紙を書き、仕事の合間に投函した。 志津も始終書いていた。 名木との縁談がつぶれてしまったせいで、あまり出歩かないほうがいいと母に言われ、仕方なく家にこもっているのだが、元気があまってどうしようもなく、またお若と組んで土蔵の片付けを始めたほど退屈していた。
 だから次の土曜日、敦盛が時間をやりくりして訪ねてきたときは大喜びで、あっという間に支度して一緒に出かけた。 道で出会った村人たちは、敦盛に冷たい態度を見せることはなく、むしろ怪我に同情して声をかけてきた。 彼が中学生だったころ、村の子供たちに優しかったことを、みんな覚えているのだった。
 敦盛は胸をなでおろした様子だった。
「君をさらいに来た鬼のように言われているかと思ったよ」
「まさか」
 志津はおかしくなって笑った。
「母は少し気にしすぎでいろいろ言うけれど、近所のおじさん達はあの酒盛りで、さっぱりしたものよ。 名木先生はどこにも行かないんだし、代わりに私がいなくなっても大したことはないから」
 敦盛は考え深げに志津を見つめた。
「うちの母は張り切って資金集めをしている。 なかなかうまくやっているようだ。 綾野もずいぶん元気になって、また女学校に通いはじめた」
 それを聞いて、志津は安堵の吐息をついた。 父親と梨加の醜聞は学校中に広がっていて、綾野は肩身の狭い思いをしており、しばらく登校が途絶えがちだったのだ。
「一つだけいいことがあった。 梨加の取り巻きをしていた娘達がすっかりおとなしくなって、もう綾野にかまわなくなったらしい」
「綾野さん、気の毒だったものね」
 そう呟いてから、志津は前から持っていた疑問を思い切って敦盛にぶつけてみた。
「不思議なの。 好きな人の子供を、梨加さんはなんでいじめたのかしら」
 敦盛は沈黙した。 無言で歩く時間が一分近く積み重なり、もう志津が返事をあきらめた頃、不意に低い声が聞こえた。
「たぶん、僕が梨加の気持ちを傷つけたからだろうな」







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