表紙

 お志津 159 将来へ向け



 楽しい午後のひとときが過ぎていった。 銀紙に包まれた玉チョコと煎茶を味わいながら、敦盛は家へ戻る道々であたためてきた婚礼の案を家族に相談した。
「国内の仕事相手は大半が戻ってきてくれました。 でも外国の商人は人より金のつながりだから、ずいぶん商売敵に流れてしまった。 だからこの機会に招待状を送って、立派な相手と結婚してますますやる気になっているところを見せたいんです」
「よくわかります」
 徳子はすぐ言外の意味を悟ってくれた。
「商売にはハッタリも必要よ。 やりくりに困っているところを見せたら、すぐつけこまれるわ。 私も幾らか心当たりがあるから、婚礼のご祝儀に力を貸してくれるところに相談してみるわ」
「ありがたい」
 敦盛は目を輝かせた。 徳子は会社の看板としてよく夫の社長と出歩いていたので、その気になれば役に立つ商売上のつながりがあるのだった。
 すっかり元気を取り戻した綾野が、身を乗り出して兄に言った。
「お兄さんは頼もしいって臼井さんが言っていたわよ。 前もしっかりしてたけど、戦争から戻って来たらグッと性根〔しょうね〕が座っていたって」
 敦盛はわずかに頬を赤らめ、嬉しいような困ったような表情を見せた。
「滝内〔たきうち〕さんと臼井さんには世話をかけっぱなしだ。 確かに学生時代から父の見習いをやってはいたが、まだほんの入り口で、卒業してから本番の修業が始まるところだったんだから」
 滝内とは会社の大番頭で、まじめ一筋の人間だと、志津はここへ来る汽車の中で聞いた。 経理に強く、商売人というより事務方に向いているらしい。 だから社長の誠吾が不意に消えた後は、会社を引っ張るというより何とか赤字を出さない方向にがんばっていた。
 臼井青年が有能なのは、前に電話で話したことがある志津にも感じられた。 きっと彼が落ち込む社員をはげまし、足を棒にして得意回りをして、会社の沈没を食い止めたのだろう。 敦盛は四歳年上の臼井を深く尊敬していた。
「うちの社は父が興〔おこ〕した会社だから、規模が大きくなっても商店に毛が生えたようなもので、組織がきちんとしていなかったんです。 それでこの際、役名をしっかり登録して合名会社にしようと思っているんですが」
 この敦盛の提案は、徳子にはピンと来なかったようだった。 無理もない。 日本だけでなく世界でも資本主義はまだ歴史が浅く、植民地獲得費用のため株を発行していた欧米の一部をのぞいては、いわゆる株式会社組織を作っているところはほとんど存在しなかった。

 それでも一家は、学があって考え深い敦盛を信じていて、彼のすることならまちがいないだろうと結論づけた。 こうして家族がまとまり、再建という目標に向かって希望を持って進みだしたのは、志津にとっても嬉しいことだった。


 夕方になって、ひとまず家へ戻るために志津が席を立とうとすると、綾野があからさまに引き止めた。 うっかり帰したら親に引き止められて、もう逢えないのではないかと心配していたのだ。
「もうこちらに泊まってもかまわないじゃありませんか。 お兄さんのお嫁様と決まったのだし」
「いえ、やはりそうはいかないわ、綾野さん」
 志津は静かに説得した。
「両親は敦盛さんとの結婚を認めてくれました。 一度言ったことをひるがえすような人たちではないし、私もそんなことは我慢しません。 婚礼には二人にも来てほしいんです。 私は一人娘。 親が来られるのは私の式だけだから」
 綾野はハッとして、口に手を当てた。 それから感激家の彼女らしく、大きな眼に一杯涙を溜めて、小声で叫んだ。
「ごめんなさい! 私、勝手なことばかり言いました!」








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