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お志津
156 不幸の果て
昼前に着いた横浜の鈴鹿家では、嬉しい驚きが志津を待っていた。
辛い思いで書いてくれた手紙に、知らぬこととはいえ返事を出さないままだったのに、志津が敦盛と連れ立って表門をくぐったとたん、玄関の扉が凄い勢いで開いて、中から綾野が飛び出してきたのだ。
それは、初対面のときに廊下を突っ走ってきた姿と、とてもよく似ていた。 だが今度は外まで足袋のまま走り出てきて、志津の手を掴むなり涙にむせなびがら声をかけた。
「ありがとう! ありがとうございます! お兄様を選んでくださったんですね。 夢のよう……」
志津は強く胸を衝かれた。 まさかこんなに喜んでもらえるとは、まったく予想していなかった。
綾野の熱い手をぐっと握り返すと、志津は力強く言った。
「私には敦盛さんしかいません。 生きていてくれさえすれば」
その言葉を聞いて、綾野は怪訝〔けげん〕そうに赤くなった目を上げた。
「え? でも」
「手紙を下さったんですってね。 そのとき読めていれば、どんなに嬉しかったか」
声を詰まらせた志津に代わって、敦盛が静かに説明した。
「峰山の方たちはうちに怒っていらっしゃって、志津さんにおまえの手紙を渡さなかったんだ」
言葉を失った綾野に、志津は急いで告げた。
「でも私宛の手紙を読むような家族ではないんです。 だから中身は知らないままで。 本当に申し訳ないことをしました」
綾野はうつむき、また涙を流した。 前に逢ったときよりずっと肩が細くなっている。 そのことに気づいて、志津はたまらなくなり、もうじき義理の妹になる綾野を引き寄せて抱きしめた。
「ご苦労なさったのね」
遠慮なく志津に抱きついて、綾野は泣きじゃくった。
「お……お父様が出ていったときは、一家心中も覚悟しました……臼井〔うすい〕さんたちが必死で会社を支えてくれて……」
臼井というのは、たぶん社長の、いや元社長の部下だろう。 彼らの誠意がなかったら、鈴鹿貿易は危なかったらしい。
静かな高台の住宅地でも人通りはある。 表で話し声がするのを耳にして、敦盛が我に返り、妹をうながした。
「とにかく中へ入ろう。 お母様はご在宅か?」
「ええ」
綾野は急いで目を拭い、笑顔になって志津の手を引っ張った。
玄関にはすでに母の徳子が座っていて、志津の顔を見たとたん深々とお辞儀した。 志津はあわててあがりかまちに膝をつき、頭を上げてもらった。
「ご無沙汰しております。 この度は敦盛さんが無事ご凱旋、おめでとうございます」
「ありがとうございます」
疲れきった声で、徳子は囁くように答えた。 さっそうとしていた洋装の面影はどこにもない。 地味な羽織姿は実年齢より十年以上年長に見えた。
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