表紙

 お志津 152 急ぎの発表



 こうして、めでたい婚礼の場になるはずだった大座敷は、急遽〔きゅうきょ〕志津のもと婚約者の帰還報告と、名木の養子縁組発表の場になった。
 志津は大急ぎで衣装を着替えた。 敦盛もまったくの普段着だが、あまりにも背が高すぎて合う礼服が見つからない。 その格好のままで皆の前に出ていくしかなかった。
 支度が整うまでの間、作治と義春が来客たちに事情を説明した。 死んだはずの男が戻ってきたと聞いて、村人たちや学校の先生、父兄は愕然となり、しばらくざわめきが収まらなかった。
「お国のために戦った兵隊さんだ。 帰ってこられてよかったが、そうなると」
「向こうのほうが元の鞘〔さや〕に戻る権利があるんでな」
 そう言って、作治は苦しい表情をしてみせた。 しかし、早くも祝い酒に手を伸ばしていた他村の村長や実力者たちは、なかなか納得できない様子だった。
「それでは困る」
 とうとう一人が正面切って言い出した。
「志津さんはここいら近辺の自慢の娘さんだ。 いくら前に約束を交わしていたからとはいえ、一度破談になったものを今さら余所者に持っていかれるのは納得がいかん」
 その言葉に勢いを得て、あちこちから声が上がった。
「そうだそうだ、そのお人には命があっただけ運が良かったと思ってもらおう。 わしらには、志津さんと名木先生が入り用なんじゃ!」
「わたしはどこにも参りません」
 隣室で待機していた名木が、静かに襖を開いて大座敷に足を踏み入れた。 出ていかないと収集のつかない騒ぎになりそうだ──そう判断したのだ。
 たちまち広間は鎮まった。 気まりの悪そうな顔をした男達も何人かいた。
「これもまた天の配剤。 わたしとしても残念ではありますが、潔く受け入れることにしました。 その後峰山家の方々から温かいご配慮をいただき、不肖この名木孝昭、正式に峰山一族に加えていただけることが決まりましたので、ここにご報告いたします」
   一瞬、人々は事の成り行きが飲み込めなかった。 だがすぐ、名木が土地一番の大地主と養子縁組を決めたこと、彼がこの土地にずっと留まって、中央とのつながりを保ってくれることを悟り、みんなの顔にどっと喜色が戻った。
「そうですか! いやそれはめでたい!」
 男達が豹変して浮かれる中、志津と仲良しだった家庭科の恵庭先生だけは複雑な表情を見せていた。 志津の本心はどうなのだろう、と気遣っているのは、客人たちの中で彼女一人のようだった。


「いやんなっちゃう。 うちの人が来ていてくれれば、こんなとき頼りになるんだけど」
 ぶつぶつ呟きながら、恵庭は長く暗い廊下をさまよっていた。 大座敷では、まだ志津たちが来ないのに、名木を囲んで酒盛りが始まっていて、恵庭がそっと抜け出しても目立たなかったのはいいのだが、あまりにも広い屋敷に恵庭の記憶力が追いつけず、夜で景色が見えないせいもあって、すぐどこにいるのかわからなくなっていた。
 行き当たりばったりに歩いていると、やがてささやき声が聞こえて、恵庭は足を止めた。 その声はくぐもって小さかったが、恵庭には聞き覚えがあった。








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