表紙

 お志津 147 何が何でも



 志津が目を開くと、いつもの格子模様の天井が見えた。 ああ、すべて夢だったのだと、一瞬吐き気がするほど落ち込んだ。
 だが腕を動かしたとたんに、現実だとわかった。 志津は白無垢を着ていて、しかも袖口が汚れ、しわくちゃになっていたのだ。
 たちまち志津は元気百倍になった。 掛け布団を払いのけ、部屋の外へ飛び出そうとして、誰かの腕で必死に引き止められた。
「お嬢様! 志津お嬢様! 動かれてはいけません、旦那様のきついお達しです!」
 お蓉だった。 だがいつもなら聞き分けのいい志津も、この夜ばかりは素直に父の言いつけに従うことはできなかった。
 もがきながら、志津は必死で言った。
「敦盛さんが来ているのよ! 生きて戻ってきてくれたの。 傍に行かなくちゃ!」
「お気持ちはわかります。 でも名木先生のお立場はどうなります? 跡継ぎのお約束は? 婚礼のその日に戻ってくるなんて、鈴鹿さんも間が悪すぎます」
「間なんかどうでもいいの!」
 志津は遂に叫び声をあげてしまった。
「生きていたのが大事なの。 逢いたい。 顔を見ないと安心できない」
 お蓉はしっかり志津の袖をつかんだまま、ぎこちなく視線をそらした。
「そのお顔ですが……」
「火傷しているんでしょう? わかってるわ。 さわったもの」
 志津はじれったかった。 こうして押し問答をしている間にも、敦盛は孤立無援で両親や仲人夫妻、それに志津の婚約者と相対しているのだ。 ただでさえ辛い思いをした彼を、更にひどい目に遭わせたくなかった。
「あの方は二週間前に内地へ戻られたんだそうですよ。 でもこちらには来られなかった。 ためらっておられたんですよ。 いくら怪我をされたとはいえ、帰還の挨拶ぐらい、手紙でもすぐにできたでしょうに」
 そのとき、外をポチが走り回る足音が聞こえ、うなり声が響いた。 いつものように、ちゃんと番犬の役割を果たしているらしい。
 そう気づいた瞬間、志津は悟った。 敦盛はこの家へ来ていたのだ。 それも一度ではない。 何度もそっと来て、ポチと仲良くなっていたのだ。
 もう我慢できなかった。 志津は隙を見てお蓉の手をさっとかいくぐり、障子を引き開けると廊下に飛び出して、ひた走った。


 長い廊下の途中に、婚礼の客を呼んだ続きの間がある。 ぼそぼそと話し合っている声を横に、志津は爪先立ちで急いで通り過ぎた。 そして次に話し声が聞こえた奥座敷に駆けつけ、息を切らせながら襖〔ふすま〕を開いた。







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