表紙

 お志津 141 歓迎と復帰



 志津は名木と相談した上、揃って登校することにした。 酔いがさめたら叔父の作治は有頂天で言いふらすにちがいない。 人の口から広まる前に、学校の関係者にはきちんと知らせておきたかった。
 予想にたがわず、二人が肩を並べるようにして校門を入ると、もう早々とやってきてブランコで立ち漕ぎ競争していた男子たちが、大声で挨拶した後、よけいなことを付け加えた。
「おはようございます! お似合いですね」
 彼等はからかったつもりだった。 だが名木はすました顔で言葉を返した。
「おはよう。 そう言ってくれると嬉しいよ」
 たちまちブランコが急停止した。 そして二人が教員室の方角へ曲がると、背後で小さな声が囁き交わすのが聞こえてきた。
「うげっ」
「まさか、ほんとに仲良くなったんか?」
「すげぇ! おれ母ちゃんに話してくる!」
「やめろよ、朝礼始まっちゃうよ」
「まだ二十分ぐらいあるよ。 すぐ戻ってくっから」
 この調子だと、村長が起きるより先に村中に噂が広まりそうだ。 志津はうつむいて苦笑を隠した。


 二人が連れ立ってくるのを、教員室の教師達も目撃していた。 さすがに彼らは大人で、好奇心を隠して普段のように挨拶したが、それも名木が堂々と事情を話すまでのことだった。
「おはようございます。 私事で恐縮ですが、昨夜峰山先生と婚約の儀が整いまして、近々式を挙げることになりました」
 教員室に驚きが流れたが、ほんの一瞬のことだった。 校庭で二人の姿を見たときから、内心では予想していたのだ。 ただ、こんなに急に決まったのにびっくりしただけで、たちまち笑顔がこぼれ、次々と祝福の言葉が浴びせられた。
 ねたむ者は誰もいなかった。 学校の女性教師は二人だけで、一人は幸せな既婚者だから名木にあこがれたりしていなかったし、志津はなかなかの美人になったとはいえ男の子っぽくさばさばしていたため、中年ばかりの男子教員たちは娘のような目で見ていて、恋愛の対象とは思っていなかった。


 噂は村より校内で素早く広がったらしい。 朝礼の間はおとなしくしていた生徒たちが、訓示が終って名木が朝礼台から降りようとした瞬間に拍手を始めた。 下で並んでいた志津はさすがに頬を染めたが、名木は落ち着いた様子で、子供達にうなずいてみせた。

 その日は、もう一つめでたいことが重なった。 いつまでも戦場から帰還してこず、安否を気づかわれていた若い教師が、昼過ぎに突然姿を見せたのだ。
 岡というその教師の顔には、痛々しい傷跡が走っていた。 久しぶりに生々しい戦禍の痕を見せられて、志津は戦時中の苦しい思いがよみがえり、背筋が凍るような思いをした。
 しかし岡は元気そうで、復帰できたことに無上の喜びを感じているらしかった。
「不覚にも、敵の捕虜になったんであります。 飯もろくに食わしてくれず、一時は死を覚悟したほどでした」
 まだ軍隊口調が残ったまま、彼は懐かしそうに同僚と苦労話を続けた。 捕虜交換交渉が長引き、なかなか本土に戻れなかったそうだった。
「でも自分らは幸運なほうでした。 露西亜語を少し話せる下士官がいて、敵と交渉してくれたんであります。 その男がいなかったら、更に帰国が遅れたでしょう」
 岡はすぐ職場に復帰できるだろう。 もう臨時教師は学校に必要ない。 ちょうどいいときに、志津は婚約したのかもしれなかった。







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