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 お志津 138 急転直下の



 代わりに志津は波立つ気持ちを抑えながら言った。
「それと同じようなことを言われて嫁いで行く娘たちを、何人も見ました。 幸せになった人も、そうでない人もいます。 結局は運次第、そういうことなのでしょうか」
 名木はまばたきした。 いつもの志津と少し違う投げやりな口調に、衝撃を受けたようだった。
「いや、どうでしょう。 自分の身内のことで申し訳ないが、兄夫婦を見ていると、夫婦仲は運というより相性ではないかと思いました。 二人はよく気が合うんです。 それも義姉が我慢して一方的に合わせているのではなく、同時に同じ事を言い出したりしましてね」
「お幸せなんですね」
 だから弟も幸せにしたいのか、それとも自分達の幸せを壊されたくないのか。 志津は名木の兄という人をうらやましいと、正直に思った。
 名木は膝をぽんと叩いて立ち上がると、さばさばした口調になった。
「申し訳ない。 相手が貴女だと、つい迷ってしまいました。 夢から覚ましてくれてありがとう。 すべて忘れてください」
 さわやかな笑顔を残して戸口に向かう名木の背中を、志津はぼんやり眺めていた。 そして不意に気づいた。 名木孝昭という青年は、これまで逢った中で一番話が合い、尊敬できる男性だということを。 もちろん敦盛は別格だし、家族の男たち、つまり兄や父とは次元が違うが。
 旧家の一人娘として、志津には結婚する義務があった。 でもこのままでは、いつか迎える婿は、確実に名木より下になる。 お互い気の進まない縁談だけれど、他の人間を選ぶのは更につらい。 
 志津は椅子からよろめいて立ち上がりながら、かすれた声で呼び止めた。
「名木校長!」
 名木はすぐ足を止めたものの、振り返らなかった。
「はい?」
 志津は大きく息を吸おうとしたが、喉にかたまりがつかえていて、うまく呼吸ができなかった。
「叔父は私のためによかれと思って、お耳をわずらわせたのだと思います。 私にはもったいないお話で」
「だからつつしんで断ると?」
 ようやく向きを変えた名木の言葉には、穏やかな微笑がふくまれていた。 しかしいったん言い出したからには、志津はもう後には引かなかった。
「いいえ、おことわりするにはあまりにももったいないと思いました」


 名木の微笑が凍りついた。 二人はお互いに視線を離せず、夕暮れの教員室で石のように立ち尽くした。
 まっすぐ彼を見たまま、志津は懸命に後を続けた。
「名木先生が迷っておられるのはよくわかっています。 かく言う私も心が2つに割れるような思いでいます。 それでも死者には添えません。 もし……こんな私でも買いかぶってくださるなら」
 求婚などしたことがない。 敦盛にさえ照れくさくてなかなか気持ちを言えなかった。 志津は半ばやけになり、花火のようにパチパチと焦りまくって言い終えた。
「よろしくお願いいたします。 でもきっとがっかりなさると思いますけど。 私は自分でも悲しくなるほどがさつなんです」
 名木は放心状態で無意識に腕を組みかけ、気づいてあわてて脇に下ろした。 彼も珍しく、いつもの集中力を失っていた。
「いえ、がっかりなんてとんでもない。 でも本当にいいのですか?」
「それはこちらが訊きたいことで」
 二人はまた目を見合わせ、ぎこちなく笑顔を交し合った。








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