表紙

 お志津 137 思わぬ展開



 いきなり顔をはたかれたとしても、志津はこれほどの衝撃は受けなかっただろう。
 村長の叔父が少々お調子者だというのはわかっていた。 だがそれにしても、当人の志津に一言のことわりもなく、いきなり名木校長に直接話をもちかけて、姪の立場を失くすとは思わなかった。
「叔父さんったら、いったい何のつもりで」
 志津のこぶしが白くなり、眉間にどんどん皺が深くなっていくのを見て、名木は途方に暮れた表情になった。
「あの」
「はいっ」
「いや、怒らないでください」
「え?」
 そう言われて、志津は初めて自分が手を固く握りしめ、酒天童子のように眉を吊り上げて真っ赤な顔になっていたことに気づいた。
「いえ……すみません」
「わたしに謝ってもらっちゃ困るな」
 名木のほうは緊張がほぐれたらしく、なかば苦笑いになって近くの椅子に越を下ろした。
「驚かせて申し訳ないのはわたしのほうです。 あなたにはそんな気配もないのに、いったいどこに誤解があったのかと訊きに来たところでしたから」


 その名木の言葉で二人は少し落ち着いた。 志津も勧められて椅子に腰を下ろし、二人は妙な気分で向かい合った。
「わたしは確かに婚礼をせっつかれています」
 名木は小さな吐息をついて、低く話し出した。
「前に先生にもお話したとおり、家系を絶やさないためです。 故郷で何度か見合いもしました。 しかし、どんな素敵な方と会ってもむなしくなるばかりでした」
 その気持ちは、志津には痛いほどよくわかった。 心にぽっかり開いた穴を他の人で埋めるという考え自体が、罰当たりにしか思えない。 敦盛さんは敦盛さんだ。 世界に一人しかいないんだ。
 気づくと、名木はいっそう真剣になって話していた。
「ただ、きっぱり断ってあなたとお別れするとなると、それはひどく寂しいことだとも気づきました」
 ぼんやりしていた志津は、いきなり現実に連れ戻されて泡を食った。
「はい? あのぅ、すみません、お話がよく」
「わたしはお志津先生が好きなんです」
 日常の挨拶を交わすときのように、名木はにこにこしながらそう言った。
「あなたと話していると、まことに楽しい。 気持ちが明るくなるほどです」
 それは私だって同じだ。
 志津は焦りぎみに考えた。 尊敬できる友人として、名木はすばらしい存在だ。
「夫婦というものは、手をつなぎあって長い人生の旅を共に歩いていくものだと、兄は言います。 初めの熱がうすれても、いや、そもそも熱がなかったとしても、仲間としての情は続くものだと」
 名木先生のお兄様は、口の調法な方なんですね、と、志津は思わず皮肉めいたことを口走りそうになった。







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