表紙
目次
文頭
前頁
次頁
お志津
136 望まない縁
人の口に戸は立てられないと言う。 風台風が去って数日してから、志津が名木校長の男らしい体つきに見とれていたという噂が、教員室にまで流れてきた。
志津はあっけに取られた。 ほとんど笑い出しそうになった。 男の上半身など見慣れている。 夏になれば片肌脱ぎどころかもろ肌脱いだ男達が、ふんどし一丁で祭囃子に浮かれているではないか。
「まあびっくりした。 やたら裸を恥ずかしがって気にするのは、毛深い異人さんだけだと思っていたら」
志津があきれて言うと、ひょろっとした理科の三ツ矢先生がむきになったように言い返した。
「だが校長先生が意外にたくましいのは事実ですよ。 ありゃ着やせする方なんですな」
「剣道の免許皆伝なんですってね。 たしか北辰一刀流の。 ほんとに男らしいこと」
なぜかいつもは志津の味方をする恵庭先生までが、そんなことを言い出した。 志津は同僚の教師達の妙な意図を感じ、居心地が悪くなった。 名木校長の下にいると、みな大変働きやすい。 今のところ、彼に取って代わって校長になりたいという野心家の先生もいないようだ。 だからずっとこの学校にとどまってもらって、気楽に働きたいのだろう。
それが彼らの論理の弱点だ。 志津は考えをめぐらせながら、ゆっくりと切り出した。
「でも名木先生は名家の出ですし、まだお若いんですから、これからどんどん出世なさるでしょう。 中学校の校長や、大学の教授になられるかも」
「そうですね」
三ツ矢はめげずに言った。
「出世には内助の功が必要です。 そう思いませんか?」
遂にはっきりほのめかされた。 志津はわからないふりをして、他人事として答えた。
「さぞかし立派なお家のお嬢さんとか、文部省のお偉方の縁者などが名乗りを上げるのでしょうね」
そこで三ツ矢は振り返り、耳をそばだてていた他の先生に聞こえるように呟いた。
「この教員室にも立派なお家のお嬢さんがおられるような気がするんですが」
志津はもう答えなかった。 教科書と白墨の箱を抱え、次の授業のため断固として部屋を出ていった。
噂は名木の耳にも届いているらしい。 ここ数日、ふらりと教員室に入ってきて、居残っている志津と話を交わすことはなくなっていた。 若い男女というだけであれこれ言われるのは面倒なことだ、と、志津が口をとがらせながら、いつものように帰り際に机を拭いていると、久しぶりに名木の黒い頭が、ひょいと教員室の戸を開けて覗いた。
「やあ、やってますね」
くったくのない口調だった。 志津もつられて明るい笑顔になった。
「このところ風が強くて、掃除をしてもすぐ汚れます」
「確かにそうだ」
名木は淡々と部屋に入ってきたが、ひとつだけいつもと違う動作をした。 教員室の戸を静かに閉め切ったのだ。
志津が桶で雑巾を洗っていると、名木は入り口の近くに立ったまま、いくらか固い声になって言った。
「昨日、村長さんと会いました」
叔父の峰山作治のことだろうか。 志津はよく絞った雑巾を窓際に干した後、振り向いた。
「高山村の?」
「ええ、峰山村長です」
彼の声がわずかに乱れた。
「あなたとの縁談を持ってこられました」
表紙
目次
文頭
前頁
次頁
背景:
kigen
Copyright © jiris.All Rights Reserved
SEO
掲示板
[PR]
爆速!無料ブログ
無料ホームページ開設
無料ライブ放送