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 お志津 135 嵐が去って



 夜半になって暴風はますますひどくなり、雨戸に何かが当たる音が幾度も廊下に響いて、一家はよく眠れなかった。
 明け方、ようやく風は去っていった。 そこから寝なおした義春と咲は九時過ぎまで起きてこなかったが、志津はいつものように六時には目を覚まし、手ぬぐいを持って井戸のある裏庭に出た。
 庭はひどいありさまだった。 直像がさっそく熊手を持ち出して、ぶつぶつ言いながら吹き寄せられた落ち葉や小枝を掃き集めている。 お若も姉さんかぶりをしてちり取りを持ち、せっせと手伝っていた。
「あ、志津お嬢さん、おはようございます」
「おはようございます。 直造さんの松は無事だった?」
 直造はしばし手を止めて、自慢そうに奥を指差した。
「はい、支えを付けて縛っておいたんで、なんとか」
 松の横では、勝次が手早く縄をはずしていた。 そして志津と目が合うと、元気に片手を振ってみせた。
「わたしも結ぶの手伝ったんですよ。 下手だって怒られましたけどね」
「やったの初めてですものね。 ありがとう」
「いえいえ」
 勝次は喜び、直造がむっとした顔になったので、志津はすぐ言い添えた。
「直造さんとお若ちゃんにもお礼を言います。 うちの庭がきれいなのは皆さんのおかげ。 私は見て楽しむだけで、いい思いをさせてもらってます」
 とたんに直造が真剣な顔になって言った。
「とんでもない。 志津お嬢さんこそ人一倍働いておられるじゃないですか。 家の中のことと、学校のことと。 奥様はすぐにでもお嬢さんを片付けたいなんて言っておられますが、志津お嬢さんがいなくなったらお困りになるのは奥様でしょうに」
「直造さん」
 言いすぎと思ったお若が、小声でそっとたしなめた。 だが志津は胸がじんとなるのを感じた。
「やさしいんですね、直造さん。 買いかぶりだけれど。 私はただバタバタしているだけよ。 忙しくしていると、気がまぎれるから」
 口にしてしまった後で、志津はハッとした。 これまで誰にもグチを言わないよう、気をつけていたのに。 やはり昨日の不思議な経験が元で、心が弱くなっているのだろうか。 もう少しで敦盛さんに出会えたのに、という口惜しさに、志津の気持ちはかき乱されたままだった。


 一人で朝食を取って学校に出かけると、やはり校庭も大荒れだった。 住み込みで働いている小使い一家が手分けして清掃している傍らで、名木校長が早く出勤してきて、折れかけて危険な大枝を鋸〔のこぎり〕で落としている姿が目についた。 だいぶ前からやっているらしく、汗をかいていて、弓を射るときのように右半身の衣服を下ろして片肌脱ぎになっていた。
 いつものことだが、志津は名木の献身的な姿に感動した。 それで風呂敷包みを抱えたまま、小走りで近づいて申し出た。
「早くからご苦労様です。 何かお手伝いできますでしょうか?」
 脚立に乗って鋸を引いていた名木は、太陽とは逆方向なのに志津の仰向いた顔をまぶしそうに見た。
「あ、こんな格好で失礼。 それじゃ、切り落とした枝をその校舎の横にまとめておいてくださいませんか?」
「はい」
 元気に返事して、志津はさっそく落ちている枝を引きずって板壁の脇に持っていった。
 名木は敦盛に比べると細く見えるが、肩にはしっかりした筋肉がついていて、鋸を動かすたびに柔軟に動いた。 武術で鍛えているのは明らかだ。 立派な体つきだと志津は感心した。 そして美術品を鑑賞するように、背後から少しの間眺めた。







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