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お志津
132 可愛い後輩
それから二週間、放課後を使って学芸会の準備が進んだ。 志津の帰りが遅くなるので、咲はまた少し元気をなくし、もう一人の男先生が早く戻ってきてく復職してくれればいいのにと言い出した。
「お蓉さんたちと話すのも、そりゃ楽しいわよ。 でもそれだけじゃ、話の種がうちの中のことばかりになる。 珠江さんがいなくなっちゃったし、この足ではまだまだ遠出できないから、世間話をしに行くのもままならないしね」
たしかにこの残暑では、ちょっと買い物に出るのもうっとうしい。 といって、子供達をまとめるのが抜群にうまい志津を、名木校長が早く帰してくれるとは思えなかった。
さいわい努力のかいあって、学芸会は大成功だった。 乙姫をやった酒屋の娘の中村紀代〔なかむら きよ〕は、開校以来一番かわいらしいと褒められた。また、主役の浦島太郎を演じた飲み屋の息子、宝井広一〔たからい こういち〕は、旅役者に貸してもらったかつらを被って低い声を出したので、親戚にも正体がわからず、最後にかつらを外してお辞儀をした瞬間に大受けした。
だが何といっても、一番人気は亀だった。 はりぼての甲羅でのったりと這いずり回ったかと思うと、いきなり立ち上がってヒラメやタイと踊りまわる姿は、稽古で見慣れている志津でさえ笑いこけた。
亀役をしたのは、吾市だった。 松治郎の親友だった子供だ。 吾市は松治郎より少し年上で、高等小学校を出たらすぐ奉公に出ることになっていた。
「おれ、もうちょっと賢かったら陸士〔りくし:陸軍士官学校の略〕に入りたかったんだけど。 あそこはただで教えてくれるし、小遣いまでくれるんだよね」
そして将来は陸軍士官や下士官になる道が開けている。 志津は切なくなったが、わざと元気に吾市の肩を叩いてはげました。
「なんの。 まだあきらめるのは早いよ。 もう一年半学校があるじゃないの。 最後まで夢は捨てゃだめよ。 吾市ちゃんは元気でがんばり屋だし、頭だって悪くないんだから」
その後、志津は吾市に、昔父に教わった効果的な勉強の仕方を伝えた。 授業で公言できるやり方ではないので、他の子供達に教えられないのが残念だったが、けなげに親の手伝いをし、辛い奉公に耐えて仕送りする決意をしている吾市には、たとえひいきといわれても希望をかなえてほしかった。
校庭の木陰でそっと話しているうちに、吾市の眼が輝いてきた。
「うん、そのやり方なら、おいらにもできるかもしれない」
「やってごらん。 コツがわかれば、どこで働くときにもきっと役に立つ。 決して無駄にはならないから」
「そうだね。 お志津先生、ありがとう!」
笑顔で走り去ろうとして、吾市ははたと立ち止まり、駆け戻ってきた。
「太助〔たすけ〕にも教えてやっていいだろか?」
その瞬間、志津は吾市を抱きしめたくなった。 友達思いの、なんていい子だろう。
「いいよ、もちろん」
「じゃあね、また明日ね」
そういい残して、今度こそ吾市ははつらつと走り去っていった。 学芸会が終って四日が経った、曇り空の午後のことだった。
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