表紙

 お志津 131 結婚の強制



 九月末には学芸会が行なわれる予定で、準備が始まっていた。 出し物は組ごとの合唱が恒例だが、去年から新しく志願者をつのって短い劇を二つほど演じていて、第一回目が大好評だったため、今年も期待が集まっていた。
「去年は花咲か爺だったんですよ。 犬が箒〔ほうき〕の尻尾をつけて走り回ってね、そりゃ可愛かった」
 そう説明しながら、恵庭先生が去年の集合写真を見せてくれた。
「今年も写真師を呼ぶんですよね」
 呼びかけられた名木校長は、立ったままぼんやりした風情で窓の外に目をすえ、振り向きもしなかった。 じれた恵庭はわざわざ椅子から立ち上がって、校長の袖を軽く引っ張った。
「名木先生。 名木校長先生」
 驚いてハッと息を吐くと、名木は決まり悪そうに二人の女性教師に顔を向けた。 三人は学芸会の小道具を準備するため、講堂の裏にある物置に来ていた。
「いや、申し訳ない。 ぼうっとしてしまって」
「確かに今日は暑さがぶりかえしていますけど」
 恵庭が不審げに言った。
「お具合が悪いなら、今日は私たちだけでも探せます。 お宅へお帰りになって休まれては?」
「いや」
 名木は手ぬぐいを出して額の汗を拭い、苦笑いを浮かべた。
「何ともありません。 大丈夫」
「そうですか? こう言うと気を悪くされるかもしれませんが、今学期が始まってから、校長先生は口数が少なくなって、心ここにあらずという感じなんですが」
 手ぬぐいをゆっくり懐に押し込むと、名木は窓の敷居に手を置き、ぽつりと言った。
「故郷の兄がですね、早く子供を作れというんですよ」


 恵庭と志津はあっけに取られた。 驚くあまりに、恵庭がとんちんかんなことを口走った。
「あの、先生がお産みになる?」
 一瞬の間が空き、それから大爆笑になった。 志津は久しぶりに腹を抱えて笑った。
「そ、それは、いくら有能な校長先生でも」
 また手ぬぐいを出して、笑いすぎてにじんできた涙を押さえながら、名木が説明した。
「兄には跡取りが必要なんです。 お義姉〔ねえ〕さんとは仲むつまじいんですが、婚礼して今年で十年なのに子供ができない。 それでわたしを無理にでも結婚させて、子供を早く二人以上作って、一人を養子にしたいと」
 志津は急に笑えなくなった。 名木先生のお兄さんという人は、奥さんを心から大事にしているにちがいない。 だから跡継ぎができなくても離縁など考えたくない。 仕方なしに弟をせっついているのだろう。
「うちの家系は男の子が多く、これまで男系が絶えたことがなかったそうです。 ただ巡り合わせでそうなっただけなのに、親戚も兄も妙にこだわって、こうなったら女の子でもいいから直系の血を引いた子供がほしいと言い出すありさまで」
 だが名木はまったく結婚に乗り気ではない様子だ。 やはり、病で失った恋人の面影を忘れられないのだろう。 彼の気持ちがよくわかるだけに、志津は切なかった。








表紙 目次 文頭 前頁 次頁
背景:kigen
Copyright © jiris.All Rights Reserved
SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送