表紙

 お志津 130 校長の異変



 その後五日して、寛太郎からの手紙が志津のもとに届いた。 妻と弟を慰め励ましてくれたことへの心からの礼と、短い軍隊生活で疥癬〔かいせん〕をうつされてしまったことへのぐちが、交互につづられていた。
『……小生が見かけより綺麗好きなのは、貴女もよく承知のことと思います。だのに犬の皮膚病のようなものにかかってしまい、軟膏で油くさくなっています。 松治郎は露骨に嫌がりますが、美喜は生きて帰ってきてくれたのだから臭いぐらいいくらでも我慢すると言ってくれました』
 なんだ、結局はのろけなんだ──志津はくすくす笑いながら手紙を畳んだ。 体がかゆい以外は、寛太郎はとても健康で、明日から仕事を再開すると書いているので、今頃は元気に働いていることだろう。
 志津のほうは、最初の登校日を無事にすませたところだった。 戦場に行っていた男先生は、一人が無事に戻ってきたが、もう一人はまだ帰還せず、消息もわからないという。 帰ってきたのが算術の教師だったため、志津はこのままだと秋学期も勤めることになりそうだった。
 暑い夏を、母の咲はがんばって耐え、少しずつ体力を取り戻しつつあった。 そうなると周りへの関心も高まり、ふたたび志津の縁談を知り合いに頼みはじめた。
「十九といえば花の盛り。 桜なら間もなく散るところですよ」
「やめてくださいお母様、まだろくに咲いてもいないのに」
 志津はそのたびに何やかにやと言い訳して、見合いから逃げ回った。 普通なら婚約者の喪に服している時期にもかかわらず、鈴鹿からなしのつぶてで事実上縁を切られ、咲はひどく立腹していた。
「こうなったら、あんな商売人の家など比べ物にならない立派なおうちと縁組しましょう。 うちの格とつりあうお宅と」
 娘の地位を確かなものにしようとがんばる咲とはことなり、義春は別の意味で娘を気遣って、せめて会うだけでも、と見合いを勧めた。
「まだわたしたちが丈夫なうちに、おまえをしっかりした人に嫁がせたいんだよ。 結婚は大変な事業だ。 うまくいかないときもあるだろう。 そんなとき、おまえを守って、うまく折り合いをつけて暮らしていけるようになるまで盾になりたいんだ。 三文文士の細腕だがな」
「お父様……」
 志津は感激して、眼をしばたたいた。 同時に心の隅では思っていた。 さすが流行作家で、言葉の選び方がうまい。 ついほだされてしまうじゃないか、と。





 まだ暑さが残る九月上旬、学校が再開された。 ふたたび結婚市場に駆り出された志津は、家ではこの気温なのにいつもきちんと装っていなければならないので、大喜びで通学用の服に着替え、軽い足取りで登校した。
 元いた先生が復帰しても、学校の雰囲気は少しも変わらず、毅然とした中にのどかな空気がただよっていた。 組織は上に立つ者の性格によって決まるという。 校長の人柄が影響して、こんなに過ごしやすい勤め先になっているのだと、志津は名木に感謝していた。
 だが、故郷から帰ってきた名木は、夏前の明るい様子とは少し違っていた。 たまに物思いにふけるような表情を見せ、言葉数も前より減っている感じだった。







表紙 目次 文頭 前頁 次頁
背景:kigen
Copyright © jiris.All Rights Reserved
SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送