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 お志津 122 勝利に向け



 教師が少なくて困っている折柄、経験のある志津を公立学校の先生として受け入れる許可は、すぐ下りた。 次の週の初め、月曜日の朝礼から、志津は隣の横川村にある鼎〔かなえ〕高等小学校に通いはじめた。
 他の職員への挨拶は、その前の土曜日にすませておいた。 家政科の恵庭光〔えにわ みつ〕先生は村の店でよく買い物をしていて顔見知りだったので、連れてきた校長から志津を取り上げるようにして先生方に紹介してくれ、幸いにもすぐなじむことができた。
 そのときでさえ、志津が帰りがけに恵庭先生と肩を並べて校庭を歩いていると、半ドンの授業が終った子供達の一部が彼女を見つけて、手を振ってきた。
「お志津ちゃ〜ん! よく来たね〜」
 恵庭が笑いながら、そう叫んだ男の子に言い返した。
「お志津ちゃんじゃありません。 峰山先生。 今日からはちゃんとそう呼びなさいね」
 だが月曜の朝に先生の列でにこにこしながら立っている志津を見た子供達は、朝礼が終ったとたんに声をそろえて呼びかけた。
「よろしくお願いします、お志津先生!」
 その呼び名は、一週間たたないうちにすっかり定着してしまった。 そして一ヵ月後には、教員室の全員がそう呼んでいた。


 春は深まり、いよいよ決戦のときが近づいているという噂が街に流れていた。
 やがて露西亜の戦艦が日本海に姿を現したという新聞報道があって、人々は緊張し、内心の不安を押し隠した。 なにせ世界に名のとどろく大艦隊なのだ。 旅順の艦隊は倒したが、本隊の大船団がどれほど強いのか、想像もつかなかった。
 それだけに、翌五月二八日の新聞号外に、みな目を疑った。 結成してまだ日の浅い日本海軍のほうが、圧倒的有利に戦っているというのだ。 国は沸き立ったが、戦闘が終るまで油断はできないという意見も多かった。
 しかし、その慎重論も次の日には大歓声に変わった。 露西亜艦隊はほぼ全滅し、日本海軍はわずかな被害しか受けなかったのだ。 沈めた船、捕獲した船が絵つきで発表され、号外が次々と発行されて巷〔ちまた〕にあふれた。


 この戦果は世界でも大きく報道された。 事実上、日本の優勢は決まった。 だが正式な降伏か講和がなければ、戦いは終らない。 六月になっても交戦は続き、七月には日本軍が樺太〔からふと〕に進攻した。


「あと少しですよ」
 セミの声が木陰から響く教員室で、試験の採点を終えた志津が持ち帰り品をまとめていると、背後から静かな声がした。
 誰の声かはすぐわかった。 名木校長だ。 志津は親しみをこめた微笑を浮かべて振り返り、ふさわしい答えを返した。
「戦いのことですね? もうほとんど決着がついているのに、敵もあきらめませんね」
「負けたと認めれば多額の賠償金を要求されますからね。 露西亜も必死でしょう」
 他の教員が帰った後、新参の志津が戸締りをして出るのを知って、名木がときどき姿を見せる。 最初は志津が慣れない仕事になじむようにと、親切に教えてくれていた。 それが最近では習慣に変わって、帰り際に短く会話を交わすのが日常になっていた。
 麻の単衣〔ひとえ〕に袴を重ねた名木は、窓から入ってくる夕暮れの涼しい風に当たりながら、机をていねいに拭いている志津を振り向いた。
「あなたもこの戦争では、辛い目に遭われたんですね」
 はっとして、志津の手が止まった。  







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