表紙

 お志津 120 爽やかな男



 訪ねてきた男は、下げていた茶色の革鞄から名刺を取り出すと、笑顔でお蓉に渡した。
「ではお手数ですが、これをお嬢さんに渡してもらえますか? 村長さんの紹介で参ったと」
「はい、今すぐに」
 言葉遣いがていねいだし、ものごしが礼儀正しいし、ほんとに素敵な人だこと、と、お蓉は頬を染めながら裏へ急いで回って、井戸の傍で直造と立ち話していた志津を見つけた。
「志津お嬢様、男の方が見えて、これを。 村長さんのご紹介だそうですよ」
 そこで我慢できなくて付け加えた。
「風采〔ふうさい〕のいい立派なお方で」
 直造がそれを聞いて、にやにやしはじめた。
「つまり、お蓉さん好みのいい男ってわけだな」
 照れたお蓉は、勢いよくぽんと直造の背中を叩いた。
「やめてよ直造さん、そういうあんただって美人が通ったら目が飛び出しそうになるじゃないの」
「あいにく、ここらじゃ美人は少ないからな。 志津お嬢さんとお蓉さんぐらいのもんだ。 おっとお松ちゃんもあと二、三年もすりゃあだっぽくなるだろがな」
「またうまいこと言って」
 楽しそうな二人を置いて、志津は名刺に黒々と書かれた名前を読んでから、植木の陰を通って玄関前に向かった。 その名前は名木孝昭〔なぎ たかあき〕。 珍しい苗字に聞き覚えがあった。 たしか志津が今度務めることになった鼎〔かなえ〕高等小学校の新しい校長先生だ。
 覗いてみたが、玄関は空っぽだった。 どこへ行ったんだろうと見回していると、背後から遠慮がちに声がかかった。
「あの」
 志津はあわてて振り向いた。 すると、表門の前にいい姿勢できりっと立った男性が目に入った。
 ふたりはどちらもびっくりした。 挨拶が口の奥で止まってしまい、声を失くしたように数秒間見つめ合った。
 名木のほうが一瞬早く我に返り、頬を煉瓦色に染めてぎこちなく言った。
「いやあ……失礼しました。 こんな可憐〔かれん〕な方だったとは」
 えっ!
 志津はあやうく、ずっこけるところだった。 きれいだとお世辞で言われたことはあったが、可憐とは! この元山猿をつかまえて、何という見当違いなことを。
 あまりのばかばかしさに、志津はすぐ平常心に戻った。 こんなに整った顔の男子を見たことがない、という最初の驚きは、すぐに醒めた。
「身に余るお言葉ですわ。 お初にお目にかかります。 峰山志津です」
 白昼夢から揺り起こされたように、名木もしゃんとした。
「初めまして。 急に押しかけてきて申し訳ありません。 鼎小学校の校長になりました名木です」
「わざわざおいでいただいて恐縮でございます。 どうか中へお入りくださいませ」
「ではお言葉に甘えて」
 志津に案内されて名木が玄関に入るとき、ふっと白檀〔びゃくだん〕の爽やかな香りが鼻先をかすめた。







表紙 目次 文頭 前頁 次頁
背景:kigen
Copyright © jiris.All Rights Reserved
SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送