表紙

 お志津 107 来ない手紙



 敦盛の属する補充部隊があわただしく去った後、義春と志津は足を引きずるようにして港を出た。 二人ともがっくり疲れ、肩が落ちていた。
 食欲はわかなかったが、目についた蕎麦屋に立ち寄ってたぬきそばを食べた。 志津は喉に煙が詰まったような気持ちがして、熱いそばが何度もつかえ、珍しく最後まで食べ切れなかった。
 黙々と食べ終わった後、義春がようやく口を開いた。
「用心して早めに来て、よかったな」
 志津は無理をして微笑んだ。
「ええ、一目逢えただけでも」
「敦盛くんは喜んでいた。 どうしても見送りたかったおまえの気持ちが通じたんだ」
 懐からお守りを出して、志津は涙ぐんだ。
「せめて手渡しできればと思ったのに」
「 正式に婚約していれば、横浜の家に押しかけてでも行って、ずっと傍に張り付いていただろうに。 志津は今度だけは敦盛のまじめな気性がうらめしかった。


 秋から冬の初めにかけて、志津は毎日手紙を書き続け、たまに運よく手元に届いた敦盛の便りをぼろぼろになるほど読んで、枕の下に入れて大切にした。
 また、いつも以上に学校の仕事にせっせと取り組み、給料のうちどうしても必要な分だけを残して、軍事国債を買った。 これは志津が特別だったわけではなく、国民の大多数が競って国債を買い上げていた。 国の戦費がどんなに必要か、しっかり理解していたおかげだった。
 海軍は比較的順調な戦果を上げていた。 だが陸軍には最新兵器の粋を集めた旅順砲台という大敵があって、攻撃に手を焼いていた。 後にアメリカ大統領セオドア・ルーズベルトに、我々ヨーロッパやアメリカの軍隊では諦めて初めから攻めなかっただろうとまで言わせた怪物だ。
 志津は様々な新聞を毎日読みあさり、乃木稀典〔のぎ まれすけ〕将軍の配下に敦盛の属する第一師団がいることを知った。 つまり敦盛たちの部隊は、今もっとも危険な激戦地にいるのだ。 志津は背筋が凍る思いだった。
 その他にも各地の師団が集まり、ロシアの艦隊と守備基地に突撃を敢行していた。 実は艦隊はすでにぼろぼろで戦闘能力はほぼなく、旅順自体にもあまり価値はなかったのだが、大本営司令部は、現地にいて事情に詳しい陸軍の報告よりも海軍の意見を重んじてしまい、乃木将軍はいやいや戦闘命令を下していたといわれる。
 十一月の末に二○三高地攻撃が始まった。 わずか二百三メートルの小さな丘を巡って一進一退の激戦が続き、ようやく十二月四日になって、丘のてっぺんに日本国旗がひるがえることとなった。
 この勝利に日本中が沸きかえった。 志津ももちろん感激したし、これで本当に戦争に勝てるかもしれないという希望が大きくなった。 それと同時に戦いで犠牲になった兵士たちを思うと、どす黒い恐怖が心を覆うのをどうしようもない日々が続いた。
 大きな戦いでは、一兵士の安否はなかなかわからない。 ここ一ヵ月敦盛の手紙が途絶えているのが不安でたまらなかった。








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