表紙

 お志津 105 今度こそは



 次いで大急ぎで、志津は敦盛からの手紙を開いた。


『大切な志津さんへ


 こういう書き出しで手紙を始められるのも今のうちだけかと思います。 でも入隊しても時間が取れる限り書くつもりです。
 駅で会えなかったのが口惜しい。 残念です。 こうなったら石にしがみついても怪我ひとつせずに戻って、貴女を妻にします。 その日まで、貴女もどうか風邪一つひかず、元気にしていてください』


 便箋の間から泉岳寺の健康祈願のお札〔ふだ〕が出てきた。 それを見たとたん、志津は声を上げて泣いた。
 手紙の白い紙にぽろぽろと涙のしみがついた。 志津だって増上寺にお参りして勝運の守り札を貰ってきたのに、渡せなかった。 まさか本土に残る許婚のために敦盛がわざわざ寺参りに行って祈願してくれるとは、予想もしなかった。
「あなたは私にはもったいない人」
 泣きじゃくりながら、志津はお守りを二つ並べて、一心不乱に神仏に祈った。 敦盛さんは本当にいい人です。 世の中の役に立つ立派な人です。 どうか無事に帰してください。 お願いいたします。 お願いいたします……。


 二月から始まった戦争は、夏の盛りになっても決着を見なかった。
 敦盛はまだ日本にいて、小隊で訓練を受けていた。 戦時といっても訓練期間中はそれほど切迫した空気ではなく、酷暑の昼下がりには休みが取れて、外出も許されるという。 もう筆は使えないので細かい字でびっしりと書かれた葉書を受け取るたびに、志津は縁がよれよれになるほど読み返し、大切にしまいこんだ。
 陸軍は旅順攻略に苦労していた。 八月十九日には露西亜軍の立てこもる要塞を攻めたが狙い撃ちされ、なんと一万五千人もの死傷者が出るという悲劇が起きた。 新聞は勝利を大きく書きたて、不利な戦いはほとんど報道しなかったが、それでも水面下で噂が流れ、戦地にいる息子や夫を心配する女性や留守家族の不安を誘った。


 秋になると、どこも戦争疲れが見え始めた。 働き盛りの男たちを戦いに取られた結果、工場や農村が人手不足になり、様々なものが減産となって値段がじりじりと上がり出した。
 そんな中、一週間ぶりに届いた敦盛の手紙で、志津は目の前が暗くなった。 遂に彼と同輩たちは検閲を終え、いよいよ出陣することになったのだ。
 出発するのは横須賀港からだった。 できるだけ早く知らせてくれたはずだが、当日まであと二日しかない。 それでも間に合ってよかった、と志津は心から感謝した。 今度こそ会える。 すぐ引き離されるとしても、彼と言葉を交わし、想いを伝え合うことができる。
 当日は、父が付き添って一緒に行ってくれることになった。







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