表紙

 お志津 102 男の責任感



 満足し、少し安心して寿司屋を出ると、外は大雨になっていた。 強い雨足に着物の裾がじっとりと重くなる。 敦盛は雨よけに、また近くの活動写真館に行こうと提案した。
 今度は出し物が替わっていて、妙な帽子をかぶった外国人が出てきた。 そして最後に正面を向き、観客に向かって銃を抜いて発砲したため、観客は息を呑み、思わず隣の人の背中に隠れる者までいた。
「いろんなことを考えるわね」
「異人もけれん味があるな。 歌舞伎と同じだ」
 敦盛と笑いあいながら写真館を後にした。 雨はだいぶ小降りになって、空が明るさを増していた。
「学校まで送っていくよ」
 そう言って市電の駅を目指した敦盛の袖を、志津は掴んで引き止めた。
「待って」
 敦盛はたちどまり、いぶかしげに志津の顔を見た。
「どうした? 忘れ物かい?」
「いいえ」
 志津は喉の塊を飲み込んでから、上ずった声で言った。
「まだ二時過ぎだわ。 せっかく逢えたんだし、どこかで……休んでいかない?」
 それが精一杯だった。 意味が通じるかどうかわからないままに、志津は首筋まで真っ赤になっていた。
 敦盛はまずそびえたつ時計台を見上げ、それから視線を恋人に戻した。 心なしか、彼の頬も赤みを帯びているように見えた。
 雨がまた勢いを増してきた。 人々は傘を低くして忙しく通り過ぎ、道端で立っているのは敦盛と志津だけになった。
 舗道を叩く雨音の中、敦盛が口を開いた。
「それはできないよ、志津さん。 実は結納も帰還するまで伸ばしてもらおうと思っているんだ」
 志津は激しく息を引いた。
「なぜ? 出征前に急いで式を挙げる人だって沢山いるのに」
 祈るように両手を握られても、敦盛は考えを曲げなかった。
「僕はそんな不安なんか持っていない。 必ず生きて戻ってくるつもりだ」
「じゃあ」
「でも怪我はするかもしれない。 腕や足を失ったら? もし目が見えなくなったら?」
「やめて」
 戦場で彼を待つ危険を思っただけで、志津は気分が悪くなった。
「そんなこと考えないで! でも万一あなたが大怪我しても、私の気持ちは変わらない。 絶対に!」
「僕が変わるかもしれないよ」
 敦盛は寂しそうに言った。
「知り合いが負傷して戻ってきたんだ。 病院へ見舞いに行ったが、別人のように性格が変わっていた。 暗くて、投げやりで」
「怪我したばかりだからよ、きっと」
 志津は必死だった。
「直ってきたら元に戻るわ。 たとえ少しずつでも」
 幕末のすさまじい内戦でも、戦った人々の多くは生き長らえ、立ち直った。 生きていれば何とかなる。 志津は我慢できなくなって、道の真ん中で敦盛の胸に飛び込んでしまった。





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