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お志津
98 本決まりに
それから敦盛は、かるたの二回戦をしようと提案した。
「梨加ちゃんは声がきれいだから、読み手になってくれないかな?」
彼がニコッと笑って言うと、梨加は軽く首をかしげ、無言で読み札を束ねて手に取った。
「今度は散らし取りにしましょうね」
そう言って徳子が取り札を畳にばらまくように並べた。 不公平にならないため、札の向きをあちこちに変えて。 今回は義春も加わり、撒かれた札を囲んで七人がずらりと位置取りしたので、一段と賑やかになった。
この頃はまだ江戸の遊び方が残っていて、読み札に作者名と上の句しか書かれていないことが多かった。 鈴鹿家の絵かるたもその方式だから、梨加は上の句だけを読む。 後は記憶をたよりに、皆きょろきょろして下の句を探した。
目と反射神経のいい志津は、たいてい作者名のところで下の句を思い出し、すぐ札を見つけた。 だが手を出すのは近くにあったときだけで、後は他の人に任せ、あちこちで愉快な取り合いになるのを面白がって見ていた。
綾野は意気込み十分だが注意力が足りず、お手つきが多かった。 一方、敦盛と徳子は慎重で、確実な札だけを着々と取った。
一番の負けず嫌いは、どうやら誠吾らしかった。 初めはもてなし役らしくのんびり構えていたが、次第に目がらんらんと輝き出し、遠くまで手を伸ばして、はじき飛ばす勢いで取っていった。
結果は誠吾が二枚義春を上回って勝ちを収めた。 三位は咲で、続いて徳子と敦盛が同数、志津は一枚差で六位。 お手つきしすぎた綾野は罰が重なり、最下位に終わった。
今回は参加者全員が楽しんだ。 梨加も読み方がうまいと大人たちに褒められてごきげんで、行長少年に悪態をつかれた悔しさを忘れたようだった。
打ち解けたところで、義春が外の夕暮れに気づいて腰を上げた。
「おう、もうこんな時間ですか。 長居をして申し訳ない。 そろそろ我等はお暇します」
咲もすかさず主人夫妻に挨拶した。
「お世話になりました。 こんななごやかな席を設けてくださってありがとうございます」
「いやそんな。 ろくなおもてなしもできず」
また敦盛が送っていくことになったが、帰り支度を終えたところで鈴鹿夫妻に引き止められた。
「この時間は鉄道馬車が運行していないんです。 人力車を呼びましたから、少しだけお待ちください」
誠吾が知り合いの人力車詰め所に電話したのだという。 電話は東京と横浜間で明治二十三年に開通し、すでに全国で一万台を越えていた。
やがてカラカラと車輪の音をさせて、四台の人力車が到着した。 鈴鹿夫妻と綾野に加えて、梨加も見送りに出てきた。 その様子を見て、咲が志津に低く囁いた。
「まるで鈴鹿家の一員のようね」
志津はあいまいにうなずいた。 それから考えた。 母も梨加のことをあまり好きになれなかったらしいと。
帰りの汽車の中で、敦盛は行きがけ以上に元気で明るかった。 そして、峰山一家三人を高木村まで送り届けて玄関で帰るとき、門までついていった志津の両手をしっかり握って言った。
「結納の日取りが決まったよ。 卒業式の三日後に。 これでもう安心だ。 君を迎えるのが待ちきれない」
「私も。 ずっとあなたといたい」
彼の手は大きかった。 そして温かかった。 志津は衝動的に背伸びして、彼の頬に頬を重ねた。
たまたま人が通らなければ、ずっと抱き合っていたかった。 だが子供の手を引いたねんねこ姿の婦人が角を曲がってきたので、志津は急いで身を引き、ごまかしに手を伸べて敦盛の襟巻きを整えた。
響きのいい敦盛の声が、愛撫のように耳元でそよいだ。
「手紙を出すよ。 君も書いてくれるね?」
「ええ、今度はすぐ書くわ。 約束ね」
マントに隠して指きりする二人の背後を、婦人がにぎやかに子供と歌いながら通り過ぎていった。
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