表紙

 お志津 96 兄妹の思惑



 志津の慰めが効いたのか、綾野はすぐ元気になり、二階にある自分の部屋へ案内した。
 そこはある意味、奇妙な部屋だった。 八畳ほどのすっきりした洋間で、片方の壁には優雅な違い棚が2つ並べて置いてあり、陶器の人形やお手玉、貼り絵の額など、いかにも女の子の喜びそうな可愛らしいものがたくさん飾ってあった。
 ところが窓の近くにある低い本棚には、教科書と図鑑、それに数冊の雑誌が並べてある他は、剣道の籠手だの竹刀だのが乱雑に押し込まれていた。 しかも一番上の棚には独楽〔こま〕と凧、そして最近はやりはじめた紙のめんこが大事そうにぎっしりと並んでいた。
 なるほど、右の棚が建前で、左の本箱が本音なのね── 志津は顔がほころびそうなのを我慢して、違い棚で一番目立つ市松人形の髪を撫でた。
「立派なお人形さんね」
「伯母がくれました。 ほとんど触ったことがありません」
 確かに新品同様だ。 それに比べて本棚の独楽は塗装が剥げ、凧は破れが補修してあるし、めんこはよれよれに反り返っていた。
 志津に見られて、綾野はちょっときまり悪そうに言い訳した。
「お兄ちゃ……兄や弟と遊ぶんです。 兄は腕力が強すぎてかなわないけど、弟にはまだ勝てます」
 大柄な敦盛が背中をかがめて、弟妹たちとめんこを打っているのを想像すると、志津は今度こそ笑顔になった。
「鉛のめんこなら遊んだことがあるわ。 でも体に悪いからもう使っちゃいけないのよね。 こんなに重ねてあるところを見ると、強いんでしょうね」
 江戸時代に始まった素焼きの泥めんこが、明治に入って鉛で作る丈夫な鉛めんこになり、いろんな業が使えるため一時大流行した。 しかし子供たちが勝つために唾をつけたりするので中毒が問題になって、今では作るのも使うのも禁止されていた。
 志津は考え込みながら一枚を手に取り、綾野を振り返った。
「教えていただこうかな。 お手合わせをよろしくお願い申す」


 かくして、戻ってこない二人が心配になった敦盛が二階に上がると、娘たちの裂帛〔けっぱく〕の気合が奥から響いてくる羽目となっていた。 敦盛は半ば開いた扉から洋室を覗き、彼女たちがたすきをかけて勇ましくめんこ札を床に叩きつけているのを見て、思わず笑った。
 低い笑い声に気づいた綾野が、上気した顔を上げた。
「お兄ちゃん、私完敗です。 参りました」
「志津さんは変な遠慮はしないからな」
 志津は少し息を荒げながら、顔をくしゃくしゃにしてみせた。
「こんなに取りましたよ。 戦利品。 でもボール紙は難しいわ。 綾野さんの教え方が上手で何とか形になったけれど」
「その調子で初春のかるた取りもがんばって。 今、下で谷之崎さんも入って白熱しているから」
 兄の知らせに、綾野はとたんに暗くなって、しゃがみこむとめんこを拾い集めた。
「お客様がいらしてると言ったのに。 やっぱり入り込んでしまった」
「そんなふくれっ面をするものじゃないよ、新年早々」
 敦盛は静かにたしなめた。 すると綾野は泣きそうになった。
「なによ、お兄さんったらあの人の肩ばっかり持って。 いくら綺麗でも、あの人夜叉〔やしゃ〕よ」
「なあ綾野、今年は少しは淑やかになるとお母様と約束しただろう? 陰でめんこをしたって別にかまわないが、表立って年上の人に無愛想な態度を見せるのはよくないぞ」
 兄妹どちらの気持ちもよくわかるので、志津は余計な仲介ができないまま、二人の気をそらせることにした。
「すみません、つい楽しくて時間を忘れてしまって。 私も両親に怒られそう」
 すぐ敦盛の表情がやわらいだ。
「いや、妹の相手をしてくれてありがとう。 さあ綾野、俺たち二人ともおまえの味方だから、一緒に降りていこう」
「はい」
 綾野も札を棚に戻してから、仕方なく微笑んだ。  







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