表紙

 お志津 95 美しくても



 さすがの志津も、初めて逢った同い年ぐらいの娘から不意に命令されてあっけに取られ、言葉を失った。
 代わりに激怒したのが綾野だった。 さっと志津の前に立ちふさがって守りの姿勢を取ると、火のような口調で言い返した。
「なんて失礼な! この方はお兄様の許婚ですよ!」
 娘はまばたきした。 それから大きく目を見張り、袂〔たもと〕で口元を隠すようにして優雅に頭を下げた。
「まあ、お許しくださいね。 私、目が悪いものですから、お姿がはっきり見えなくて」
「いいえ、お気遣いなく」
 ようやく気を取り直した志津は、涼やかな声で答えた。 そして自分のほうから名乗った。
「初めまして。 峰山志津です」
 娘はまた目をぱちぱちさせた。
「谷之崎梨加〔やのざき りか〕と申します。 敦盛さんの又いとこにあたる者です」
 親戚なのか。 だから許しを請わずに入ってきたらしい。 それにしても『お庭番』の人たちがよく通したものだ。
 袂からレースつきのハンカチを出して口に当て、上品に咳をしてから、谷之崎梨加はまだふくれている綾野を振り返った。
「じゃあ大切なお客様って、このお嬢様のご家族?」
「ええ」
 綾野はぶっきらぼうに答え、再び志津の手を取った。
「私はお姉さまのご案内をしているところです。 客間はどこか知ってますよね? でも入るのは後にしてくださいね」
 そう言うと、志津を引っ張るようにして、さっさと階段のほうへ歩き出した。 だから志津は、梨加に一礼する暇しかなかった。


 広く作られた階段をずんずん上がりながら、綾野は怒りちらしていた。
「本当にごめんなさい、嫌な人で。 前からああなんですよ。 もともと美人だからって鼻にかけていたところへ、横浜三美人なんて絵草紙に描かれたから、ちやほやされてもうどうしようもなくて」
 ちょっと激しすぎる反発だ。 あまり悪口を言うのはよくないと遠まわしに言う方法はないかと、志津が思案していると、ふと見た綾野の鼻の脇を光る筋が流れ落ちるのに気がついた。
 綾野もすぐ、涙に気づかれたのを悟り、子供のように手でごしごし目を拭いた。 そしてぽつりと言った。
「梨加さんの友達もあんな風なんです。 この間、珍しく買い物に誘われて、行きたくなかったんだけど母が行きなさいというのでついていったら、私の欲しい物にみんなでケチをつけて。 やぼったいとか見栄えがしないとか。 それで帰る時に、後ろで言っていたんです。 お母さんはきれいなのに娘は似なくてかわいそうねって」
 志津は頭がカッと熱くなるのを覚えた。 子供のころ、同じように切ない思いをしたことが、わっと心によみがえった。 色黒の山猿と言われ、麗しい母の子とは思えないとからかわれたことを。
 反射的に手が出て、綾野の肩を抱きしめていた。
「でも、学校のお友達はあなたが好きでしょう? 明るくてお元気だから」
「ええ、一緒に遊ぶ友達はいっぱいいます」
 そうよね、こんなに素直でかわいいんだもの──志津は本当の妹のように綾野が愛しくて、後ろで結んだ紐から流れ落ちる黒髪を優しく撫でた。
「小学校の先生から言われたわ。 意地悪と嘘は神様が見ている、それに黙っていても周りの人もちゃんと見ている。 必ず自分の損になるから、止めなさいと」
「いい言葉ですね」
 志津の胸に額を当てたまま、綾野は鼻声でつぶやいた。








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