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 お志津 92 いざ横浜へ



 一月四日になると、もう敦盛から手紙が届いた。 二日に書いて投函したため、まだ両親が峰山家を訪問した感想などは記されていなかったが、志津に対して、また二人の未来に対して、大らかな希望と愛が一面に書き入れられていた。
 妹と弟も、敦盛の婚約には大賛成だということだった。 二人とも好奇心一杯で、早く志津に会いたいと言っているらしい。 妹の綾野嬢、つまりピアノの大好きな女学校二年生は、両親について峰山家に行きたいとせがんで、大変だったそうだ。
『……弟の行長〔ゆきなが〕はあまり何も言いません。 もともと無口な性質で、二つ離れた姉とは違い、物静かです。 どことなく志津さんの兄上に似ているような気がしますが、頭脳は定昌さんの足元にも及びません』
 志津は何度も手紙を読み返し、胸に抱いて恋人を想った。 そして、行長という高等小学校生にも、逢う前から親しみを持った。 敦盛さんは謙遜しているが、きっと弟さんは賢いのだろう。 行長くんと似ていたから、お兄ちゃんの気持ちをあんなにわかってくれて、親切に尽くしてくれたのかもしれない。 そう考えると、七日に横浜へ行くのがいっそう楽しみになった。


 そしていよいよ、その七日になった。 一家が朝、出かけようとばたばたしていると、嬉しい驚きが明るく声をかけながら、門から入ってきた。 自ら横浜へ案内しようと、敦盛が駆けつけたのだ。
 彼は父親とは異なり、和装だった。 足元はさばきやすいように着流しで袴は着けていなかったが、生地は上等な紬〔つむぎ〕で、紺色の足袋とよく合った榛色〔はしばみいろ〕を選んでいた。 そして上には、今どき流行りのとんび(二重回しともいう。 ボタンのついたマント)を着て、帽子をきちんと被っていた。
 その身なりだと、敦盛はとても立派に見えた。 前に洋服を粋に着こなしていたのと同じで、上等なものをまとうと驚くほど凛々しい。 この姿なら居留地に住む異人たちも一目置くにちがいない、と、志津は内心彼を自慢に思った。
 志津の親たちも、見事に変身して現れた未来の婿を目にして感じるところがあったようで、彼を大人扱いするようになった。 実際、敦盛は父の仕事を手伝っている関係なのか、世慣れていて、駅で汽車を待つ間に売店で熱い善哉〔ぜんざい〕を買ってきたり、乗り換えのとき混雑する切符売り場をすぐ見つけ、神奈川駅行きの切符を早々と手に入れてきたりと、目端が利いた。
 出発して間もなく、義春は安心して敦盛に手配を任せるようになった。 敦盛の話によると、新しく引っ越した家は横浜の市街から北に少し離れた新興住宅地で、江戸の御世ではひなびた漁村だったという。
「高台ですが海が見えて、潮の香りがします。 海の近くだと鍋や鎌が錆びやすいといいますが、景色はいいですよ」
「確かに遥か大海が見渡せると、心まで広がった気がするなあ」
 窓から外を眺めながら、義春が同意した。
 品川から発車した汽車は左側を青々とした海に添い、鉄道馬車の三倍以上の速さで快調に線路を進んでいた。







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