表紙

 お志津 90 親との対面



 家では、敦盛の両親が首を長くして待っていた。 志津は玄関に置かれた小さな鏡で、年末に結った庇髪〔ひさしがみ:略式の日本髪〕がちゃんとまとまっているかどうか確かめた後、素早く肩掛けと道行〔みちゆき:和式の外套〕を脱いで、迎えに来たお若に渡してから、上に上がった。
「志津です。 ただいま戻りました」
 廊下に膝をついて挨拶すると、障子を開けた。 振り向いた洋装の婦人を見て、思わず目を丸くしそうになったが、何とかこらえて座敷に入り、指をそろえて頭を下げた。
「お帰り。 鈴鹿くんのご両親がわざわざお越しくださった」
と、父が言う。
「お初にお目にかかります」
 さすがの志津も緊張した。 声が細くなってしまったが、かえってしおらしく聞こえたらしく、背広姿の恰幅〔かっぷく〕のいい紳士が目を細めて優しい笑顔になった。
「これは聞きしに勝る美しいお嬢さんで」
 志津はたじろいだ。 かわいいとか溌剌〔はつらつ〕としているとか褒められたことはある。 しかし面と向かって美人と言われると、それはちょっと言いすぎだという気がした。
 だが親ばかな父は嬉しさを隠しきれないようだった。
「いえいえ、至って普通の娘で」
「女学校の先生をなさっているとか。 頭脳明晰でもいらっしゃるんですね」
 夫人が女らしい色気を感じさせる声で言った。 つやつやした栗色の服の上にかけた母の駱駝〔らくだ〕の肩掛けがよく似合っている。 遠い祖先に異国の血が入っているのかと思わせるほど鼻が高く、すっと鼻筋が通っているのを見て、敦盛の身長と顔立ちは母方から受け継いだのだろうと志津は思った。
 やがて言葉を交わすうちに、志津は未来の義理の親たちに好意を持った。 父親の誠吾は江戸の下町で代々紙問屋を開いていた商家の次男坊で、開国してから急速に発展していく横浜の活気に心を引かれ、教会の牧師が開いた語学教室で英語を学んで起業したということだった。
「それで本家は兄上が継いでおられる?」
「はい、手堅くやっております」
「新たに事業を始められて軌道に乗せるのは、大変なご苦労だったでしょう?」
「まあ、苦労といえば何の仕事でもつきものでしょうから。 ただ、東洋くんだりまで渡ってくる異人には、したたかな者が多いので、口車に乗せられて損を負わされないようにするのが大変です」
 そんな生き馬の眼を抜くような業界を、誠吾はうまく泳ぎ渡っているらしい。 息子に似た茶色がかった眼には賢そうな光があり、話し方には自信と明るさが感じられた。
 徳子夫人は男性二人の話に耳を傾け、ときどき笑顔を浮かべるだけで、自分からはあまり話さなかった。 派手に見えるが、案外物静かな人なのかもしれない。
 







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