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お志津
89 気まずい時
実家から郡の家へ知らせが来たのは、午後二時を回ったころだった。
出張してきた写真屋の機材が足りなくて、助手が店に取りに行ったりしていたため、撮影が遅れ、昼時にかかってしまった。 食べ盛りの松治郎などは、長いポーズを取っている間にお腹が大きく鳴って笑い出し、また初めからやりなおし、などということになっていた。
ようやく撮り終わったのが一時半だった。 その後すぐ賑やかに昼食の席を囲み、志津も当然招かれた。 祝い膳だから断るのは失礼だ。 それに尾頭付きの鯛が実においしそうで、志津は喜んで食卓についた。
久しぶりに甲斐介と珠江夫妻も心から楽しげだった。 松治郎も数え年で十歳。 ここまで丈夫に育てば、まず若死にする心配はないだろう。 二人は本気で松治郎を跡継ぎとして考えていて、ゆくゆくは月謝が安くて箔がつく国立大学に入ってほしいと願っていた。
若くても一応教師をやっている志津に、二人はいろいろ質問してきた。 中には答えに窮する問いもあった。 夫妻があまりにも松治郎の将来に熱心なので、次第に居心地が悪くなってきたところへ、折よく勝手口から声が響いてきた。 あの大声は、新入りの勝次にまちがいなかった。
志津が叔父夫妻に断って席を外して台所へ行くと、思ったとおりそこには勝次が立ち、肩で息をしていた。
「ああ、志津お嬢さん、お婿さんのご両親がさっき見えました」
「そう、じゃ家へ戻らないとね」
後についてきていた珠江が、好奇心を隠しきれない様子で先に答えた。
履物は勝手口にではなく、玄関にある。
「向こうから出るから回ってきてください」
と志津が勝次に言い残して廊下に上がり、早足になったとき、後ろで叔母が訊く声がした。
「婚礼、正式に決まったのね。 お婿さんの名前は?」
勝次は無邪気にすぐ答えた。
「鈴鹿さんです」
思わず志津の足が止まった。 一瞬の間が空き、珠江の声が不意に冷たく変わった。
「もしや、鈴鹿敦盛さん?」
「はい……」
雰囲気が不意に変化したのに気づいたのだろう。 勝次が取りなそうとして、早口になった。
「とてもいい方ですよ。 前からお嬢さんに惚れてたみたいで」
志津は目をつぶった。 この発言で叔母がどんな気分になったか、考えるまでもなくよくわかった。 裏切り者! そう思ったにちがいない。 最初に約束を違〔たが〕えたのは、彼女の息子の寛太郎なのだが。
あまり勘がよくない勝次にも、自分がへまをしたのがわかったらしい。
足を急がせての帰り道、心配そうに志津に尋ねた。
「あの奥様に鈴鹿さんの話をしちゃ、いけなかったですかね」
「いいえ、あなたはまったく悪くないわ」
気を取り直して、志津はほがらかに答えた。 どうせすぐわかってしまうことだ。 叔母たちの気持ちを逆なでにすることになっても、好きなものは好きなのだ。
「敦盛さんは、あそこの長男さんの友達なの。 前に泊まったこともあって、だから複雑な気分になったんでしょう。 私はあの家の嫁になるはずだったのだから」
「ひぇー、じゃあ寛太郎さんって、あのお宅の……」
低い呟きを残して、勝次は黙ってしまった。 直造やお蓉から詳しい話を聞いていなかったようだ。 二人とも義理堅く忠実な人たちで、軽々しく主家の噂をしないのだ。
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