表紙

 お志津 80 年の瀬の客



 志津の体を受け止めた敦盛が、小さく息を吐いた。 それから、震えるように吸い込んだ。
 彼が雪だらけのマントを開いて庇うように入れると、清潔な体臭があたたかく志津を包んだ。
 そのまましばらく、二人は黙って抱き合っていた。 言葉はもう要らない。 ただひたすら、お互いを感じていたかった。 静かに降り積もる雪の世界で、二人は目覚めて夢見る至福の中にひたっていた。


 どさっという鈍い音が、すぐ後ろで起きた。 湿った雪の重みに耐えられなくなった枝がしなって、大きな塊がすべり落ちた音だった。
 それでようやく、志津は現実に立ち返った。 筋肉質な背中からいやいや手を離すと、上気した顔で見上げて微笑んだ。
「中へ入りましょう。 あなたがつららになったら大変」
 長い睫毛に雪片がかかったため、敦盛はまばたきした。
「こんな忙しい日にやってきて、ご家族にはお邪魔だろうな」
 志津は平気で答えた。
「そんなこと。 お蓉さんは綺麗好きで、いつも家中がチリ一つないほど片付いているのよ。 だから今日は、普段やらない蔵や押入れを整理しているだけ。 後は普段のとおりなの。 新年用の料理はもうできているし」
「では、すぐおいとまするから」
 自分に言い聞かせるようにそう呟いてから、敦盛は服の雪を払いつつ、志津と玄関へ向かった。


「ごめんください」
 大きく張り上げると、敦盛の声はとても深みが出る。 志津は彼の顔も体つきも好きだったが、何よりも魅力的なのは胸に響くこの声だと思った。
 すぐに軽い足音がして、お蓉が姉さんかぶりを外しながら出てきた。 そして、帽子を脱いで挨拶する大柄な青年を目にしたとたん、手を打ち合わせて喜んだ。
「しばらくぶりですね、お蓉さん」
「まあまあ、鈴鹿の坊ちゃん! なんとりりしく立派になられて! 奥様、鈴鹿さんがお見えですよ!」
 あわてて奥から咲が現れた。 けっこう広い玄関なのだが、敦盛が立っているといつもより狭く見える。 正月用に取り替えた立派な衝立〔ついたて〕の前で、咲は思わずしげしげと、すっかり大人びた若者を見つめてしまった。
 続いて口から出たのは、自分でも驚く言葉だった。
「定昌も背が高かったんですよ。 それでも貴方にはかなわなかったでしょうね。 お蓉の言うとおり、立派にお育ちになったわねえ」
 敦盛の顔が引き締まった。
「定昌さんのこと、本当にご愁傷様です。 ご葬儀に伺いたかったのですが」
「寛太郎さんが来るなと言ったんでしょう?」
 咲はずばりと口に出した。
「貴方が来ると自分が目立たなくなりますからね」
 志津は困った。 前はこんなにずばりと言う母ではなかったのだが。
「お母様、ここは寒いですから」
「あ、そうね。 どうぞお上がりになって」
「押し詰まった日に突然やってきて、申し訳ありません」
「いいえ。 大して片付けるものはないし、ちょうど中休みを取ったところだから」
 その言葉で、志津はハッとした。
「あ、お若ちゃんを蔵で待たせたまま」
「あそこも寒いわ。 呼んできなさいな」
「はい!」
 志津は大急ぎで庭に飛び出した。








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