表紙

 お志津 79 心を確かめ



 それから敦盛は、くすっと笑った。
「鼻に蜘蛛の巣がついてる」
「えっ?」
 志津はあせって手で払おうとした。 だが敦盛に先を越された。 ごわついたマントの脇から腕が出て、志津の鼻の頭を指先がかすめた。
 手はそのまま留まり、志津の頬にそっと触れた。 懐で温めていたのか、冷えた頬に火がついたように熱い指だった。
「大掃除していたんだね」
 志津は小さく二度うなずいた。 そして、敦盛の手をパッと取ると、垣根越しにしっかり握ったまま歩き出した。
「こっちに木戸があるの。 新しく作ったのよ」


 小さな枝折戸〔しおりど〕から敦盛を入れた後も、志津は握った手を離さなかった。 雪は相変わらず降りしきっていて、敦盛のへしゃげた学生帽や黒マントに湿った雪片が吹きつけ、頂上が白くなった山のように見えた。
 歩きながら、志津は早口で言った。
「手紙、昨日投函したの。 ごめんなさい気をもたせて。 そんなつもりはなかったんだけど、私は文章が下手で、思っていることの十分の一も書けなくて、書き直しばっかり」
「僕もだよ」
 少し上から、囁きが降ってきた。
「部屋が紙くずだらけになった。 それでも気持ちが伝わったかどうか、自信がない」
 玄関へ一直線に進んでいた志津の足が、ぎこちなく止まった。 振り向いて見上げた顔が、桜色に染まっていた。
「うれしかった。 今でも、なんか足が宙に浮いているみたい。 あんなふうに想っていてくれたなんて、想像もしなかった」
「どうして?」
 敦盛は意外そうに眉をひそめ、喜びとじれったさに悶々とした表情になった。
「初めから君と親しくなりたいと思っていたのに。 わかっていただろう? 志津さんといるとき、いつも楽しそうにしていたのを」
「あれは……男の友達ぐらいに考えていたんでしょう? だって、山猿だもの」
「いや違うって。 木に登っている君は、たとえて言えば牛若丸だった。 素早く動いて颯爽〔さっそう〕としていたよ」
 じっと見つめる敦盛の眼に、翳が差した。
「郡は本気で山猿と言ったわけじゃない。 あれは男の見栄というか、許婚なのがまぶしかったんだ。 特に学友の前では」
 志津は信じきれずに首を振った。 だが、慰めてくれる敦盛の優しさが心に染みた。
 その気持ちをうまく表せない自分がもどかしい。 志津は半ば捨てばちになって、両手で敦盛の手を掴むと、大きく左右に振った。
「ああじれったい。 どうして他のひとのように、眼をぱちぱちさせたりしなだれかかったりして、うまく誘えないんだろう。 やっぱり私はがさつで、女らしくなれないんだわ」
 敦盛が喉の奥で、低く笑った。
「そんなことをされたら、かえって落ち着かないよ。 さばさばしているところが、志津さんの本分なんだ。
 でも誘ってくれるなら、心から嬉しい」
 たちまち志津は、足元を埋めていく雪が融けるほどの笑顔になった。 そして思い切り両腕を広げ、敦盛の胸に飛び込んだ。







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