表紙

 お志津 65 家庭の事情



 まだ卒業してから一年ちょっと。 先輩教師たちはほとんど去年と同じ顔ぶれだったし、在校生の半分以上が志津の顔を知っていた。 そしてどちらにも、志津は好感を持たれていた。 だから母校に溶け込むのは簡単だった。
 志津が受け持つのは、地理と本邦歴史になった。 その科目の先生が風邪をこじらせて寝込んでしまい、おそらく夏まで起きてこられないだろうという残念な診断が下ったためだ。
 他にも裁縫の先生が、助手として志津を必要としていた。 学校の人気が上がり、学級をひとつ増やしたのに、教える側は一人のままだからだ。
 学生たちは年の近い志津を歓迎し、一ヶ月もすると個人的な悩みなどを相談するようになった。 今でいう保健室の先生の役割だ。 故郷の村でも子供たちと親の橋渡し役をしていた志津は、黙って話を聞くだけでも生徒の悩みがずいぶん軽くなるのを知っていた。
 ただし、人気者になりすぎるのも良くないとわかっていた。 他の教師が気を悪くする。 だから、よく耳をすませて、口は固く閉じ、教員と学生双方の噂には決して深入りしないようにした。 狭い人間関係では、言葉の行き違いでこじれることが多いからだ。


 明るく気軽にやっているようで、内心はけっこう疲れる日々が続いた。 だから、年末が来たときにはホッとした。
 もっとも正月休みは十日しかない上、その前に試験があって採点もしなければならないので、最後まで気が抜けない。 試験問題作りは歴史が専門の正岡先生に指導してもらったが、これもなかなか大変だった。
 とにもかくにも、初めて教える側になった学期末試験は、混乱なく終えることができた。 清徳の女子学生は、本当に学びたくて入学した子が多く、実直なので教えやすい。 また、試験でいんちきをしようなどとは考えもせず、いちおう教師が監督していたものの、一心不乱に答案を書き続ける姿ばかりで、手がかからなかった。


 それなのに、すべて順調に終わった後で騒ぎが起きた。 学生の一人が姿を消したというのだ。 通学生ではなく寮生だったので、同室の学生が、暗くなる少し前にいなくなったのを発見した。
 その学生は、風紀の先生に言わずに、まっすぐ志津のところへ駆けつけた。
「峰山先生、雁家〔かりや〕さんが無断外出しました!」
 志津はぎょっとして、知らせに来た山田りくという学生を見つめた。
「こんな夕方に? ご家族が早めに迎えに来たのかしら?」
「いいえ」
 山田は心配で息を切らしていた。
「一人でこっそり出かけたんです。 実は前にもありました。 雁家さんは東京市の外れに住んでいますが、お父さんの後添えさんと仲が悪くて、それで寮に入っているんです。 そのお父さんが仕事で怪我をしたのに、後添えさんは放ったらかしているという知らせがあって、とても心配していて、終業式まで待てなかったんだと思います」








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