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 お志津 64 学院へ戻る



 こうして親子三人は、久しぶりに風の止んだ穏やかな小春日和の午後、学校近くの鉄道駅に降り立った。
 約束の時間少し前に、清徳女学館へ到着すると、わざわざ校長先生が門まで出ていて、飛び切りの笑顔で迎えてくれた。
「お帰りなさい」
 いい言葉だ。 志津も顔中を笑みに変えて、ぺこりと頭を下げた。
「お久しぶりです。 採用してくださって、ありがとうございます」
 続いて父が帽子を取って挨拶した。
「ご無沙汰しています。 志津の父の峰山義春です」
 丹波校長はすぐ思い出したようだった。
「お久しゅうございます。 作家の先生でいらっしゃいますね。 この度はまたお嬢様をお預かりすることになり、職員一同喜んでおります。 志津さんなら必ずや本校の誉〔ほま〕れになってくれることと思いますので、ご母堂様もどうかご安心ください」
 ご母堂と大層な肩書きをつけられて、咲は目を白黒させながら、丁寧に挨拶を返した。
「何かと不調法な娘ですが、どうぞよろしくお引き立てくださいませ」


 それから一同は応接室に入って、話の続きをした。 臨時教員なので、給与は正規の八割ほどになるが、その代わり職員寮の寮費も二割引になるとの説明が、小杉教頭からあった。
 前のように親戚の世話になるから寮に入る必要はないと、義春が説明しかけたとき、機先を制して志津が訊いた。
「ありがとうございます。 すぐ荷物を入れたいのですが、よろしいでしょうか?」
 母が唖然として口を開けた。 だが驚きがおさまらなくてうまく反論できないうちに、教頭が答えてしまった。
「大丈夫ですよ。 部屋の準備はできています。 これから行きますか?」
「はい!」
 義春が苦笑いを噛み殺し、咲が怒りで血を上らせている前を、志津は両手に柳行李と風呂敷包みを下げて、いそいそと教頭の後について歩いていった。


 部屋は二階の角で、狭いが一人部屋だった。 志津がひとまず荷物を置いて出てくると、両親はまだ帰らずに、敷地の端で志津をにらんでいた。 少なくとも、母の咲は笑っていなかった。
 手ぶらの志津は、軽やかに二人へ近づいた。
 すると、とたんに咲に叱られた。
「なぜこんな勝手な真似を! 兄に手紙を出して頼んであるのに!」
 志津は真面目な顔になって、静かに答えた。
「喜んで承知してくださったのは、ありがたいと思っています。 でも伯父様のお宅は少し離れていて、歩いて通えません。 私一人のために馬車や人力車を雇うなんて贅沢は、してはいけないし」
 母は目を三角にし、父は低く咳払いした。
「確かにうちは、前ほど豊かではないかもしれない。 だが、もうおまえも金がかかるばかりの女学生ではないし、そのぐらいのことは平気の平左だよ」
 それでも志津は譲らなかった。
「わかっています。 けれど寮のほうが、他の先生方と早く仲良くなれると思うんです。 初めから浮き上がりたくありませんから」
「悪目立ちしたくないという気持ちはわかる」
 早くも父が軟化しはじめた。 母はなおも口を尖らせていたが、やがて不機嫌そうに言った。
「うまく溶け込めなかったら、そのときは必ず山根の伯父様に頼むんですよ」
 内心、やった! と叫びながら、志津はしおらしく答えた。
「はい、お父様、お母様」








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