表紙

 お志津 63 本決まりに



 ところが、事態は咲の思ってもみない方向に動いた。
 義春が達筆な封書で清徳女学館に送った問い合わせに、わずか三日で返事が届き、峰山志津嬢なら、ぜひ低学年の補助教師になっていただきたく、と、大歓迎の言葉がしたためられていた。
 その手紙を妻に見せるとき、義春は自慢そうだった。
「志津がこんなに信頼されているとはな。 親として教育方針がまちがっていなかったと思うと、いい気分だよ」
「あなた、これは……」
 咲は絶句して、情けなそうな顔をした。
「私としては喜んでいいのかどうか。 こんなに望まれるということは、一年や二年の勤めではすまないのではないですか? あの子の喜びそうな仕事ですし、楽しすぎてうかうか時を過ごして、行き遅れにでもなったら」
「心配ないさ」
と、義春は笑いとばした。
「志津は今では一人っ子だ。 いくら闊達〔かったつ〕でも、家への責任をおろそかにするような娘じゃない。 いざとなれば、ちゃんとここに戻ってくる」
 それでも母はなかなか信じ切れなかった。 だから、義春に言われて志津を呼んでくることにして、廊下を歩いている最中にも、口の中で呟いていた。
「一体いつが『いざ』なのか、あの子にわかるんでしょうかねえ」


 父から学校側の返事を聞かされた志津は、大喜びだった。
 頭にずんと載っていた重石が取れて、思い切り息を吸い込みたくなった。 結局私は育ちきれていなくて、まだ所帯を持つ心構えができていないんだ、と自分でも思う。 ちゃんとした大人の女になるためには、もう少し人生修業が必要なんだ。 きっとそうだ!
 ということで、志津はすぐ学校に就職願いの手紙を出すと、いそいそと荷造りを始めた。


 今度は保護者の要る生徒ではなく、新米の教師として学校へ行くわけだが、まだ一八になったばかりの娘を一人で東京に行かせるわけにはいかない。 義春が送っていくと言うと、めずらしく咲が口を出した。
「それなら私も行かせてください。 一人娘に下宿なんかさせられませんから、また兄さんに頼まないと。 迷惑をかける貴代さんに挨拶したいし、甥たちにも会いたいですしね」
「そうだな。 みんなで行くか」
 相変わらず、義春は鷹揚〔おうよう〕なものだった。








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