表紙

 お志津 60 昔からの友



 志津は、元気のない寛太郎を見ているのが辛くて、できるだけ陽気に声を出した。
「家に戻ってきたの?」
 とたんに寛太郎は強ばった顔になって、反抗的に顎をあげた。
「ちがう! 俺が顔を見たかったのは、松治郎と志津っ子だけだ」
「松ちゃんには会えた?」
 寛太郎の目が、少しだけなごんだ。
「ああ。 あいつ、涙ぐんでたよ。 あいかわらず泣き虫だ」
「無事なお兄ちゃんを見て、ほっとしたんでしょ」
「俺は何とかなる。 だが親父は、松の学費までつぎこんで、全部なくしてしまったんだ。 どぶに捨てたようなもんだ」
「寛太郎ちゃんは反対したんだって?」
「当たり前だよ。 出資金の利息が二割で、そのうえ工場の家賃でも儲かるなんて、そんなうまい話が世の中にあるもんか。 欲に目がくらんでいると親父に言ったら、殴られた。 おまけに」
 そこで不意に言葉がとぎれた。 立ち話をしていると背中の栗が重くなってきたのて、志津はよいしょと担ぎあげた。
 その動作につられて、寛太郎が顔を上げた。
「やけに重そうだな」
 志津は自慢そうな笑顔になった。
「今年最後の栗だよ。 たっぷり採れた。 ほら」
 袋を下ろして中身を見せると、寛太郎は糸切り歯を見せて笑った。 やっと普段の姿が戻ってきたような、邪気のない笑顔だった。
「相変わらずだ、安心したよ。 俺がいなくなって、少しは悲しんでくれたかと思ったけどな」
 そして、腕を出して袋を持ち上げた。
「下まで運んでいってやる」
 志津は驚いて、目をぱちぱちさせた。 これまでずっと年下の男の子扱いで、荷物を運んでくれることなど考えられなかったのに。
「いいよ、自分で持っていける」
「持っていけるのはわかってるさ。 ただ、これが最後になるかもしれないから」
 二人は一瞬見つめあった。 寂しい空気が木枯らしに混じってただよった。
 志津は素直に栗の袋を渡し、二人は並んで歩き出した。 手ぶらになった志津は、時折吹く突風に大きく揺れる枝を見上げながら訊いた。
「さっき、話を途中でやめたでしょう?」
 寛太郎は口元をきゅっと引き締めた。
「他にも親父と喧嘩した理由があったんだ。 詐欺に引っかかったのがわかったとき、親父のやつ、婚礼を早めようとした。 ばれる前に峰山の婿になってしまえば、義春おじさんから金を融通〔ゆうずう〕してもらうのが簡単になると思ったんだ」
 そう吐き出すように言ってから、寛太郎は栗の袋を前に持ってきて、軽々と振り回した。 あたかも父の代わりに、首根っこを掴んでいるかのように。
「自分の失敗を、本家や志津っ子に押し付けようとするのが許せなかった、 そんな計算づくで結婚したら、おまえに一生嫌われそうだしな」
 軽口に見せているが、声の奥には哀しみと自尊心があった。
 志津は胸がじーんとなった。 寛太郎には、思った以上に骨がある。 物心ついたときから知り合いなだけに、彼がしっかりしていることはよく知っていた。 だが、ここまで筋を通すとは考えていなかった。
「しかし、おまえも心が広いな」
 気がつくと、寛太郎が話し続けていた。
「俺がお美喜〔みき〕のところに逃げ込んだという噂が立ってるから、きっと怒ってて、鼻も引っかけてもらえないと覚悟してたよ」
「みごとに振られたから?」
 そうあっけらかんと応じて、志津は寛太郎を睨む真似をした。
「そりゃびっくりしたよ。 あのまま何の挨拶もなかったら、ちょっとはしゃくにさわったかもしれない。 でも、こうやって来てくれたし、事情も話してくれたから、もうわだかまりはない。
 向こうじゃ学業だけでなく、働いているんでしょう?」
「ああ」
 栗の袋を持つ寛太郎の腕は、明らかに太くなっていた。 ここしばらくで、筋肉が発達したにちがいない。 志津は元婚約者というより妹のような目で彼を眺め、世の荒波に乗り出した若者の無事を心から願った。
「お父さんも怒ってないよ。 だから何かあったら相談に来て」
 道は急勾配の下り坂に差しかかった。 二人ともうまく踏んばって、体の釣り合いをとりながら降りていった。
「この山は低いが、足を鍛えるには向いてるな」
「うん、お年寄り向きじゃないね」
 麓まで一気に降りきった後、寛太郎は袋を返し、最後にポンと志津の肩を叩いた。
「義春おじさんには、もう父がさんざんお世話になった。 家が残せるなんて夢にも思わなかったよ。 これで母と弟は、しばらく安泰だ。 勝手なことをいうようだが、俺からもありがとうございましたと、おじさんに言ってくれ」
「わかった」
「じゃあな」
 一度だけ手を上げて、寛太郎はしっかりした足取りで銀ヶ池の方角へ行く道をたどっていった。 次第に小さくなる彼の後姿を、志津は見えなくなるまで見送っていた。







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