表紙

 お志津 59 筧山の上で



 活発な志津が、裏山にも行けないような軟禁生活に、長く耐えられるわけがない。
 初めて木枯らしが高木村を吹き荒らした日の午後、母が近所に呼ばれて数時間留守にするのを幸い、志津は急いで身支度をして、こっそり裏木戸から忍び出た。


 まだ十一月の初めなのに、冷たい風のせいで、戸外は真冬のような寒さになっていた。 だが志津はまったく気にせず、頬と耳を真っ赤にしながら村道を軽い足取りで走っていった。
 残念ながら、いつもはあちこちで群れている子供たちの姿がない。 手がかじかむほど寒いのと、遅まき野菜の収穫を手伝うためだろう。 自分だけ遊んでいるようで気がとがめて、志津は急いで筧山〔かけいやま〕へ向かった。
 二週間以上も外出できずに手をこまねいているうちに、柿は熟してしまい、ほとんど残っていなかった。 だがお気に入りの栗の木は、例年に劣らず沢山の実を地面に落とし、身軽になって風に吹かれていた。
 気候不順が災いして、栗の実は虫食いが多かったものの、中には立派に丸々としたものもあって、割れたイガの間から艶のある姿を見せていた。
 志津は器用に棒を使って、とげだらけのイガから栗を取り出し、袋に詰めた。 どんぐりを集めるリスのようにせっせと動き回っていると、ここしばらくのふさいだ気持ちがスッと晴れていく。 志津の口ずさむ鼻歌は、やがて本格的な民謡となって、無人の山に明るい彩りを添えた。


 小一時間もすると、持ってきた袋が一杯になった。 手に提げると、ずしりと重い。 さらに、雲が先ほどから低く垂れこめてきて、一雨来そうな気配だった。
 そろそろ帰るか、と袋を肩にかついだとき、どこかでぶつぶつ言う声が聞こえた。 志津は木陰から首を伸ばして、山道を見渡した。
 その目に飛び込んできたのは、櫟〔いちい〕の幹に寄りかかっている若い男の姿だった。 どうやら下駄の歯に小石がはさまったらしく、片方を脱いで小枝で外している。 その不機嫌そうな顔を見て、志津は思わず道へ飛び出した。
「寛太郎ちゃん!」


 下駄の片われをぶら下げたまま、寛太郎はゆっくり顔を上げた。 こんなところで不意に出会ったのに、驚いている様子はまったくなかった。
「志津っ子か」
 ほんの小さい頃の呼び名が、彼の口から久しぶりに出た。
 志津は背中の荷物を揺らしながら、寛太郎の傍に駆けつけた。 そして、遠慮なく上から下まで見回した。
 寛太郎は、あまり変わっていなかった。 藍色の合わせの着物に黒の袴を穿き、茶色の襟巻きを無造作に首にかけて、学生帽をあみだに被っている。 まあまあ普通の学校生に見えた。
 だが、表情を見ると、元気そうだという第一印象は崩れた。 頬がこけているし、目つきは鋭くなって、しかも生気が薄れていた。 志津は心配になった。 ちゃんと食べているんだろうか。
「疲れて見えるよ」
 志津が声をひそめて言うと、寛太郎はにらむように見返してきた。
「俺の心配してる場合じゃないだろう。 こっちは何といって謝るべきか、ずっと考えながら登ってきたのに」








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