表紙

 お志津 58 窮屈な自由



 それからしばらくの間、高木村は重苦しい雰囲気に包まれた。
 郡家と峰山家は親戚関係にあり、由緒正しい家柄で、いわば村の顔だった。 その片方が投資に失敗して、広大な土地を売り渡すことになるかもしれないというのは、村の未来に暗雲を投げかける事件だ。
 噂はあっという間に隣村にも伝わり、高木の村民は新たなからかいにも耐えなければならなかった。
「郡の総領息子(長男のこと)は、こんなときにどこぞの女と駆け落ちしよったと? まじめそうに見えたが、案外親不孝者だったな」
「お志津坊が気の毒じゃ。 あんな気立てのいい子を置き去りにしくさって。 そんでも、この辺の若い衆は張り切るじゃろうて。 これからはお志津坊目当てで、門の前に列ができるぞい」


 若者の列はともかく、近所の世話焼きが一斉に張り切りだしたのは確かだった。 毎週のように、正装した中年の男女が手土産を持って、峰山の門の前で案内を待つようになった。
 また、峰山家と親しい婦人たちも、競って縁談を持ち込んできた。 彼女たちの多くは、郡の噂にも興味を持っていて、応対に出た咲からそれとなく聞き出そうとした。
「大変なことでしたねえ。 あれから郡の坊ちゃんと会われました?」
「いいえ、まだ」
 仕方なく答えるたびに、咲は内心の悔しさを噛みしめる。 寛太郎は戻ってくるどころか、詫び状の一つもよこさなかった。
「ご実家が傾いたのを、どう思っているんでしょうね? お宅のご主人のご尽力で、お屋敷は残ったそうですけど」
「いえ、親族が力を合わせたからこそで、うちの人の手柄ではございませんわ」
 しかし、小作に出していた豊かな田んぼや畑は、ほとんど人手に渡ってしまった。 優雅な奥様暮らしだった珠江は、家計を切り詰めて使用人を減らし、習い事もすべて止めていた。 一緒に踊りの稽古をしていた咲は、一人で行くのがつまらないので、自分も止めた。
 当たりさわりのない返事でお茶を濁し、招かれざる客人を丁重に送り出した後、咲は時計をちらりと確かめてから、娘の様子を見に行った。


 縁談が壊れて以来、志津はあまり村に出なくなっていた。 失恋したと思われているのに、子供たちと陽気に騒いだらいけません、と、母にきつく言われているのだ。 だが志津の本音は、じっとしていると体がなまりそうで、雪が降る前に筧山に行って、残っている柿や栗を採ってきたくてたまらなかった。
 そんな娘の気持ちを見抜いている母は、目を離すと心配でしかたがない。 ふっと抜け出して遊びに行かないかと、一時間に一度は部屋を覗くのだった。
 







表紙 目次 文頭 前頁 次頁
背景:kigen
Copyright © jiris.All Rights Reserved
SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送