表紙

 お志津 54 奇妙な問い



 いらだって下駄箱の戸をバタンと閉めた母は、そこで初めて娘が棒立ちになっているのに気づいた。
「どうしたの? 早くお上がりなさいな」
「お母様」
 驚きのあまり濁った声で、志津は尋ねた。
「他にも縁談があったんですか?」
 咲は顎を上げ、肩をそびやかした。
「もちろんよ。 私へ直〔じか〕に言ってきた人もいたし、遠まわしに紹介を頼んできた人もいたわ」


 志津は絶句した。
 そんなことは、想像もしなかった。 私を嫁に欲しいという人間が、この世に何人もいるなんて。
「それは、峰山家と縁続きになりたくて?」
 すると母は向き直り、妙な表情で一人娘を見つめた。
「確かにそういう気持ちの人もいるでしょう。 でも、着の身着のままでいいから、と頼みこんできた男の人もいたのよ」
 着の身着のまま! たとえ私が一文なしでも構わないということ?
 志津はなんだか嬉しくなって、明けっぴろげな笑いを浮かべた。
「変わった人ですね」
「そうは思わないけど」
 咲は小さな溜息をついて玄関口に上がり、歩いて熱くなった頬を手であおいだ。
「寛太郎さんも、志津を大事にする気がないなら縁談が続かないかもしれないと、肝に銘じてほしいわ。 結婚前からこれじゃ、先が思いやられる」


 志津が行水し、普段着に着替えて茶の間に行くと、父が廊下に立って、暮れかけてきた景色を眺めていた。
「お父様」
 考えこんでいた風情の父は、志津の声で驚いたように振り向いた。
「あ、帰ってきたか」
「はい」
 志津も父と並んで、桔梗〔ききょう〕や立ち葵が咲く花壇を眺めた。
「今年は花が少ないわ。 やはり七月に雨が降らなかったせいかしら」
「そうだろうな」
 珍しく父の声に張りがない。 背中が丸くなっているのに、志津は初めて気づいて、衝撃を受けた。
 父も、そして母も、いつまでも若くはないのだ。 跡取を失って、一度に中年の坂を上った感じさえした。
「寛太郎ちゃんが来たんですって?」
 寛太郎ちゃん? と父は呟き、やっと笑顔になった。
「もうカンタローとは呼ばないのか?」
 志津は照れくさそうに下を向いた。
「もう子供じゃないから、いつまでも仇名で呼ぶのは良くないかなと思って」
「そうだな」
 父はまた視線を庭に戻すと、少し黙っていてから、不意に問うた。
「おまえ、寛太郎くんを本当はどう思っている?」
 その口調は、妙に真剣だった。
 志津は本能的にしゃきっとして、背筋を伸ばして問い返した。
「どうとは?」
「つまり」
 父の声が深みを帯びた。
「一生添いたいと思うほど、好きなのか?」








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