表紙

 お志津 53 変化の予兆



 女学校を卒業したといっても、志津はまだ十六歳。 そうそう淑女に変われるものではなかった。
 だから、母に連れられて一応の挨拶回りが終わると、とたんに普段着で村に繰り出し、陽気で面倒見のいいお転婆娘に戻ってしまった。
 村の人々、特に子供たちの間では、そんな志津のほうが人気があった。 地続きの幼なじみと所帯を持って、これからもずっとこの村で暮らすのだから、近所に親しまれるのが一番だ。 琴や作法などの習い事が増えて、前ほど暇ではなくなったとはいえ、志津は自由時間の大半を使ってチビたちと遊び、子沢山で苦労している親たちの手助けをした。


 その夏は気候不順で、なかなか暑くならず、晴れが数日続いた後に突然ひょうが落ちてきて、畑の作物に深刻な被害を与えたりした。
 しかも、曇りが多いのに、雨はなかなか降らない。 干害の心配まで出てきて、七月の末に台風が来たときには、大雨が襲ってきたのを皆で喜ぶほどだった。
 やっと天気が落ち着き、じりじりと暑くなった八月初め、ようやく寛太郎が故郷に戻ってきた。
 例年も、よく友達の家に泊まったり、共に伊豆や千葉、果ては富士山まで小旅行に出かけるので、帰りが遅いのはいつものことだった。
 だがその年は、どこか様子が違った。 まず本家へ挨拶に来たことは来たが、たまたま出かけていた志津と母が帰ってくるまで待たず、早々に暇乞いをして去っていった。
 志津が彼の訪問を知ったのは、下男の直造の口からだった。
「お帰りなさい、奥様、志津嬢ちゃん。 寛太郎さんと行き違いになってしまいましたね」
 玄関先を掃いていた直造が、そう言って迎えたので、二人は驚いた。
「寛太郎さんが来ていたの? やっと学校から帰ってきたのね。 それで、何時頃見えたの?」
 母の咲が、形のいい眉を上げて笑みを浮かべながら訊いた。 直造は汗を拭きながら、ちょっと考えて答えた。
「そうですな、半時ほど前です」
「たった半時? ずいぶんせかせかしているようね」
 上がった眉が、今度はひそめられた。
 だが志津のほうは、母ほど気にしていなかった。 同じ村にいるなら、そのうち必ず顔を合わせるはずだ。
「ちゃんとお父様に挨拶に来たんだから。 もう二十歳の大人なので、きっと忙しいんでしょう」
 母は、あまり納得したようには見えなかった。 玄関から入りながらも、小声で愚痴を言いつづけた。 さっぱりした母には珍しいことだ。
「あの子はどこか他人行儀なのよ。 道で会っても困ったような顔をするし。 志津のことだって、もっと大事にするのが普通じゃないの? それをいつまでも、筧山の小猿あつかいで」
 最後の言葉に、志津はプッと噴いてしまった。
「私、そう思われているの? 知りませんでした」
「いえね」
 母は困ったように弁解した。
「前にあなたと喧嘩した後で、そう息巻いていたんですって。 あの小猿は木の上から、いろんなものを投げつけてくるって」
「確かにそういうこともしました」
 志津はすまして言った。
「でも最近はやっていません。 いつまでも根に持っているんだろうか」
「ともかく、縁談に気が進まないなら、そう言ってくればいいのよ」
 母はぷりぷりしながら、草履を下駄箱に片付けた。
「志津を貰いたいと申し出ているのは、一人や二人じゃないんだから」







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