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お志津
51 卒業が間近
若くとも、やるべきことが山のように押し寄せてくると、処理だけで時間は矢のように飛び去っていく。
志津に課せられた三年という学問のときは、それこそあっという間に過ぎて、気がつくと、もう六月初めの卒業式が目の前に来ていた。
だから五月中、志津は目の回るような忙しさだった。 卒業試験準備のかたわら、親しい友の実家の住所を訊き、ささやかな餞別〔せんべつ〕の準備を済ませ、歓送会での歌の練習もしなければならない。 友人が多い志津は、あちこちで呼び止められて、席を暖める暇もないぐらいだった。
その前に、別の別れもあった。 体が弱く、よく寝込んでいてほとんど顔を見せたのなかった山根裁判官の母が、その年の二十年ぶりの暑さを乗り切れずに落命し、一家は喪に服した。
また、初めて逢ったときは新入りの女中だったお絹が、いよいよ嫁入りすることになり、支度のために晩春に故郷へ帰っていった。
相手は、隣村の地主の息子ということだった。 良縁だが、お絹はあまり喜んではいなかった。
「隣といっても、間に山があるんですよ。 だから里帰りもしにくいし」
それから、仲良しの志津だけに、お絹は本音を洩らした。
「これまで二度しか会ったことがないんです。 十も年上でね、おまけに仏頂面〔ぶっちょうづら〕で、まるっきり男前じゃないんですよ」
そこで一息入れると、お絹は一気に言った。
「なんだかモグラそっくりでね」
志津は噴き出さないように、こっそり自分の腿をつねった。
「目が小さいのかしら?」
「そのとおりです」
あっさり認めて、お絹はしょんぼりした。 だが、すぐに立ち直り、眼を面白そうに光らせた。
「初詣〔はつもうで〕のときに、私を見かけて気に入ったんですって。 望まれて嫁ぐんだから果報者だ、と親に言われました。 そんなものかもしれませんね」
「どうぞお幸せに。 でも寂しくなるわ」
志津は心から祝福した。 お絹ちゃんは働き者で、気立てのいい人だ。 ぜひ幸福で安定した生活を送ってほしい。
お絹が親に連れられて、ひっそりと去った後、志津はあらためて、自分の未来を考えた。
寛太郎との婚礼は、もう決まったことだ。 彼とは相変わらず友達付き合いを続けていた。 なごやかだが、つかず離れずの仲だ。 恋人同士とは程遠く、芝居や小説にあるようなしっとりした会話など、まるっきりなかった。
といって、他に気になる男子がいるわけではない。 たとえば、叔父の書生から法曹見習に昇格した石上は、当年とって二十歳で美形。 家に来る女性客や近所の娘たちから熱い視線を投げかけられているが、志津は彼にまったく興味を持たなかった。
石上は貧しい育ちで、出世に命を賭けている。 だから、役に立ちそうな相手には、とても愛想が良かった。
志津にも、彼は親切だった。 最初はありがたかったが、その彼がお絹にはそっけないのを知って、しらけてしまった。
注意して見ると、お絹だけではなく、身分の低い者や貧しい者を鼻であしらうようなところがある。 無駄な努力はしたくないのだろうけど、見ていて気持ちのいい態度ではなかった。
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