表紙

 お志津 44 敦盛のこと



「綾野さん?」
 志津にとって、それは初めて聞く名前だった。
 敦盛が顔をほころばせ、片えくぼが浮かんだ。
「妹だ。 今、女学校の二年。 志津ちゃんの一つ年上だ」
「やたら派手なんだ」
 寛太郎が溜息を洩らした。
「それに傍若無人〔ぼうじゃくぶじん〕。 人を人とも思ってないところがある」
「親父が甘やかしたからな」
 大した欠点とは思っていない様子で、敦盛があっけらかんと言った。
「だが気性はまっすぐで、裏表がないぞ」
「ピアノフォルテがうまいんだ」
と、寛太郎が告げたが、取りえというより欠点と思っているような口ぶりだった。
「あの楽器は、やたら音が大きくて、傍にいると頭がガンガンする」
「こいつが家に泊まったとき、ちょうど綾野の発表会の前で、朝も昼も練習していたんだ」
「朝昼だけでなく、夜もだぞ」
 寛太郎が情けない顔になったので、志津は笑うわけにもいかず、あらぬ方角に視線を外した。
「清徳にもピアノを弾ける先生がいる。 音楽の授業ではオルガンを弾くけど」
「足で踏んでブーブカ鳴らすやつだな」
「そう。 師範課の人は必ずやるの」
「あっちのほうが、俺は好きだ。 音が柔らかくて」
 そう言って、寛太郎は遠い目になった。


 観音堂へ参詣〔さんけい〕した後、小腹がすいたので、三人は屋台のそば屋を見つけ、かけそばを頼んだ。
 縁台に並んで腰かけて食べていると、前をいろんな人が通る。 羽織に鳥打帽を被った商人風の男。 薄い襟巻きで喉を覆った芸妓。 背広姿で忙しく話し合いながら通り過ぎる二人連れがいたが、敦盛の格好よさには遠く及ばなかった。
 そばをすすりながら、志津は横目で敦盛を眺め、どこが違うのか考えてみた。
 まず、彼は脚が長い。 それに、規格外の大きさだから、体に合わせた特別仕立ての服をまとっていた。 だからよく似合うのだ。
 でも、それだけではない気がした。 動いていると特に目立つのは、服が体に合っているからというだけではない。
 よくわからなくて首をかしげた志津だったが、やがて三人とも食べ終えて再び歩き出したとき、原因を悟った。
「敦盛さん異人さんのような歩き方をする」
 敦盛さん? と呟いて、寛太郎が顔をしかめた。
「さっきから気になっていたんだが、なんで俺がカンタローで、こいつが敦盛さんなんだ?」
 志津はきょとんとした。
「え? だってカンタローはこんな小さいときから知っているけど、敦盛さんは去年からだから」
 すると、敦盛の顔がいたずらっぽくなった。
「さん付けが気にくわないんだろう。 じゃ、アッちゃんとでも呼んでくれ」
「アッちゃん?」
 身の丈六尺(約180センチ)を越える大男をアッちゃん呼ばわりするのか。 志津は今度こそ吹き出してしまった。
 面白くなさそうに、寛太郎は話を元に戻した。
「それで、こいつの歩き方が何だって?」
「ああ」
 さっきの疑問を思い出し、志津はもう一度繰り返した。
「あの、アッちゃんのね、歩き方が毛唐、じゃなくて異人みたいだと思って」
「ああ、それか。 連中の動き方を調べたんだ」
と、敦盛が応じた。
「で、異人は膝をできるだけ曲げずに、腰で歩くとわかった。 奴らの国には、あんまり坂がないんだろう。 こんな歩き方では山は登れないが、ズボンが細くてきゅうくつだから、洋装のときはこの歩き方が楽なんだ」







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