表紙

 お志津 42 珍客現れる



 教師に呼ばれて面会室に向かった志津は、寛太郎が居心地悪そうに木の長椅子に腰掛けているのを見て、笑顔になった。
「カン……じゃなくて、郡〔こおり〕のヒロちゃん、どうしたの?」
 ぱりっとした合わせの着物を着た寛太郎も、ぎこちなく表情をゆるめた。
「定昌さんが亡くなったとおじさんに聞いたから、見舞いに」
 志津は驚き、ちょっと感動した。
「わざわざ慰めに来てくれたの? ありがとう」
 すると、寛太郎の横に座っていた大きな青年が、低く咳払いした。 体に合った洋服を楽々と着こなしていて、世慣れた感じのする男だ。
 志津は目を上げて会釈しようとして、ぽかんと口を開けた。
「え?」
 とたんに洋装の青年は、斜め後ろに座ったお目付け役の教師にわからないように、口へ人差し指を当てた。
「声を出さないように。 先輩ってことになってるんだから」
 指の上で、活き活きと動く大きな目が躍っていた。 志津は吹き出しそうになるのをこらえて、囁き返した。
「敦盛〔あつもり〕さんだよね? また大きくなった?」
 鈴鹿敦盛は、半分目を閉じてうなずいた。
「あれからもう二寸伸びた」
 横で寛太郎が声を張って、割って入った。
「それで今日は、君を元気付けたいと思って来たんだ。 僕達は縁談が決まっているし、こうして先輩も同行してくれることだし、半ドンの午後だ。 少し町を歩いてみないか?」
 志津は驚いて、教師に視線を向けた。 教頭で風紀取り締まりも兼ねている小杉米子教諭は、無表情なまま、ゆっくりとうなずいてみせた。
「門限は六時です。 六時までに必ず帰校するように」
「はい、先生」
 志津はすっかり嬉しくなって、季節外れの向日葵〔ひまわり〕のようにあでやかな笑顔をふりまいた。


 三人そろって外に出ると、敦盛は黒い山高帽をちょこんと頭に載せて、フーッと息をついた。
「やれやれ、親父のまねをするのも楽じゃない。 この帽子だけは父のものなんだが、小さすぎて、被ると頭痛がしてくるよ」
「ありがとう、わざわざ来てくれて」
と、志津は心から言った。
「学校は居心地がいいんだけれど、兄ちゃんのことを知ってる人は誰もいないから、思い出話ができないの。 昼間は気が紛れるけど、夜は寂しくて」
「定昌さんは特別な人だったからなあ」
 珍しく、寛太郎がしんみりした口調になった。
「若いが、賢者という感じだった。 たまに会うと、俺の話をよく聞いてくれて、帰るときには胸がすっきりしてるんだ。 説教がましいことなんか一言も言わないんだがな」
 兄ちゃんもきっとカンタローと話をして、胸がすっきりしたんだろうな──志津はせつなくなって、唇を噛みしめた。 兄は志津の話も喜んで聞いた。 そして、自分も外の世界で冒険したり、友達と走り回る夢を描いていたのだ。
「最近、むしろ元気そうになっていたのに、なぜこんなに早く?」
 寛太郎は自分の目で見ているだけに、どうしても納得がいかないようだった。
 志津は二人に挟まれる形で歩きながら、できるだけ正確に伝えた。
「兄ちゃんは昔大病をしたでしょう? あのときに心の臓が弱ったの。
 でも若いから、体はすくすくと育っていって、安静にしていても、とうとう心臓が追いつけなくなったらしいの」
「たしか猩紅熱〔しょうこうねつ〕だったね」
「そう」
 耐え切れなくなって、志津の眼から涙がこぼれ落ちた。
 すると、温かいものが不意に指を包んだ。 首を回すと、敦盛の手が白いハンカチを渡して、そっと離れるところだった。








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