表紙

 お志津 41 新たな春に



 志津は三日間の忌引きを取って、学校に戻るのを二日遅らせた。
 お通夜に続く野辺の送り、そして埋葬。
 すべてが終わっても、これで永遠の別れとは信じられなかった。
 家に戻るのが辛い。 こんなことは初めてだった。 定昌はあんなに静かで、しかもたいていの時間を離れで過ごし、人目に立つことがなかったのに、いざ亡くなってみると、存在感の大きさに、みんな途方に暮れた。


 葬儀には、ほぼ村中の人が来た。 驚いたのは子供たちが多かったことで、しかも全員が悲しんでいた。
「本家の兄ちゃんは、いつも優しかったよ」
「凧をくれた。 去年はあんころ餅も。 おやつをよく分けてくれたんだ」
 年長の女の子の中には、定昌にあこがれていた者もいたらしい。 妹の目から見れば兄は兄で、顔立ちなどあまり気に留めていなかったが、葬儀の写真を見ると、定昌はなかなかいい男ぶりだった。


 春は菜種梅雨で、天候不順なのが常だ。 しかし、兄を見送った三日間、空は晴れっぱなしだった。
 だから毎夕、志津は夕焼けと夜の色が入り混じった天を見上げ、両手を合わせて兄を想った。 最後に定昌と話したのが、こんな空の下だったから。


 四日目、志津が再び学校へ旅立つ日、空はどんよりして、今にも泣き出しそうだった。
 たまたま村長で叔父の峰山作治〔みねやま さくじ〕が東京へ行く用事があって、志津を送り届けてやると言ってくれたが、父はどうしてもついていくと言い張った。 それで人力車を三台雇い、午前十時に出発した。
 見送る母の咲は、時間が来てもなかなか娘の手を離そうとしなかった。 そして、どこか必死な眼差しで言い含めた。
「馬や車には、よく気をつけるのよ。 風邪を引きそうになったら、すぐ休むこと。 くれぐれも無理はしないでね」
 普段の志津なら笑い飛ばすところだが、今はできなかった。 母には、そして父には、もう自分しかいなくなったのだ。 そう思うと、ずしりと肩にのしかかってくるものがあった。




 学校では、友達の大歓迎が待っていた。 父が電報を送ったため、皆が峰山家の不幸を知っていて、精一杯慰めようとした。
 志津も友人の好意にずいぶん慰められた。 そして、数日で元気を取り戻し、前のように明るく振舞うようになった。
 だが、それは表向きのことだった。 胸の奥には小さな闇がしこりとなって残り、一生かすかにうずき続けた。 志津にとって兄の影響力は、もしかすると父より大きいものだったのかもしれない。


 ともあれ、時は春だ。 他所の学校からの転入生も二人増え、学級はますます賑やかになった。
 寛太郎が先輩を伴って学校を訪れてきたのは、そんな晴れやかな春の一日だった。









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