表紙

 お志津 35 兄との交流



 楽しい冬休みは、それこそあっという間に過ぎた。
 今度は父に時間の余裕があり、しかも東京市内に用事があったため、送っていってくれることになり、志津は安心していた。
 冬物の新しい衣服を行李にぎっしり詰めて、すっかり出発準備を終えてから、志津は兄の定昌に、しばしの別れの挨拶に行った。


 兄は縁側に座って、風のない小春日和を楽しんでいた。
「今日は暖かいな」
「うん、でも気温は一二度しかないよ」
 羽織姿の兄を気遣って、志津は部屋から半纏〔はんてん〕を持ってきて着せかけた。
「今度は早く帰ってくるからね。 春休みは三月の半ばからだって」
「ここら辺りでは、梅が咲く頃か」
「そうだね」
「街の空気は汚れているから、風邪を引かないよう気をつけろよ」
「兄ちゃんもね」
 定昌の傍に自分も腰を下ろして、志津はまだ地面に届かない足をぶんぶんと振った。
「また買物に行ってくる。 何が入り用?」
「そうだな」
 冬の日差しを眩しそうに見上げながら、定昌は考えた。
「紙がほしいな。 西洋のぺらぺらなやつじゃなく、透かしの入った厚めの紙が」
「何色?」
「白だ。 このぐらいのを」
と、手で大きさを示して、
「十枚ほど」
「十枚ね」
 志津は張り切った。 兄に頼まれると、いつも嬉しい。 役に立てるという充実感があった。
 だから、次に出た兄の言葉は心外だった。
「すまないな。 部屋住みの身なのに、好き勝手に物を買わせてもらって」
 志津は文字通り飛び上がって、口角泡を飛ばした。
「部屋住みなんて! 兄ちゃんはこの家の大事な跡取だよ! それなのに控えめで思いやりがあって、みんな自慢にしてるんだから」
「みんなとは?」
 兄が目で笑いかけてきたので、志津はますますむきになった。
「お父さんとお母さんと私! それに雇い人の人たちも、みんな!」
「その期待に応えられたらいいと、心から思うよ」
 表情に笑いを残したまま、定昌はぐんっと腕を伸ばした。
「僕が丈夫になれば、おまえも身軽に好きな男と添える」
 志津は、なぜか胸が震えるのを感じた。
「……兄ちゃん。 カンタローをあまり買ってないの?」
 兄は静かに首を横に振った。
「そんなことはない。 この辺りでは一番の秀才だし、気立てもいい」
「一番の秀才は、兄ちゃんだ」
 志津はきっぱりと言い切った。 定昌は苦笑して、半纏をはおり直した。
「僕は学校へ行ったことがないのに、どうしてわかる?」
「比べてみれば、すぐわかるよ。 学校でいろんなことを頭に詰め込んだって、使えなきゃどうしようもないって」
「生意気なこと言っちゃいけない」
「うん。 半可通(=知ったかぶり)でごめん。 でもやっぱり、兄ちゃんが凄いと思う気持ちは、変わらない」
 定昌の手が伸びて、妹の頭を撫でた。
「お前のその気持ち、忘れないよ」







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