表紙

 お志津 30 戻った家で



 道が緩やかな下り勾配〔こうばい〕に入ると、ようやく志津は人力車に乗り、本山と共に家の前まで揺られて行った。
 村の本通りには、すぐ人だかりができた。 遠くから人力車を見かけた人が、触れてまわったらしい。 冬の時期で暇なので、学生らしく装った志津を一目見ようと、大人も子供もあちこちから竹の子のように沸き出てきた。
「志津ちゃん、お帰り!」
「まあまあ、おしゃれになって」
「めっきり色白になったこと!」
 勝手な批評にびくともせず、志津は大人たちみんなに頭を下げ、子供たちには手を振った。
「ただいま〜、お久しぶりです。 ただいま。 あっ、弥之助おじさん! 明日行くね〜、お土産持って」
「待ってるよ、お志津ちゃん。 町はどうだい?」
「ごみごみしてる!」
 車上で振り向いて叫び返す志津をよそに、人力車はむしろ速度を増して、さっそうと村の道を走りすぎた。 村人が集まりすぎて道が塞がるのが怖かったのか、それとも力が余っているところを見せびらかしたかったのかもしれない。


 ざわめきが伝わっていたのだろう。 峰山家の門の前にも、使用人たちに混じって母まで笑顔で出迎えていた。
 志津は頬を紅潮させて人力車を下りると、母に挨拶した。
「ただいま戻りました」
「お帰り。 元気そうでよかった」
 それから、荷物を下ろしている元山を、母は丁寧にねぎらった。
「娘についてきてくださって、お世話になりました」
 元山は、きれいな咲夫人をまぶしそうに眺めて、帽子を取った。
「山根先生から言いつかりました。 元山と申します」
「道中お疲れでしょう。 中に入って一休みなさって。
 そちらの車の人たちも、入ってくださいな。 元山さんをお送りするまで、あなたたちも足を休めてください」
「そりゃどうも」
「じゃ、遠慮なく」
 女中のお蓉〔よう〕に連れられて、車夫二人が裏手に去った後、下男の直造〔なおぞう〕が志津の荷物を受け取って、屋内に運んだ。


 いそいそと玄関に入った志津は、上がりかまちに兄が立って微笑んでいるのを見つけて、思わず飛びついた。
「兄ちゃん! やっと帰れたよ!」
 兄の定昌は、心なしか別れた秋より元気そうで、体力も少し戻ったように見えた。
「待ちかねたよ。 おまえのいないこの家は、静かすぎる」
「兄ちゃんにお土産、たくさんあるの。 頼まれた半田鏝〔はんだごて〕も、忘れずに買ってきたよ」
「まあまあ落ち着いて。 二人とも興奮しすぎてはだめよ」
 母が元山と並んで入ってきて、笑いながらたしなめた。









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