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 お志津 28 帰り道にて



 志津たちが故郷の村に一番近い久米駅で降り立ったとき、まだ先へと旅を続ける行商人一家は、家族ぐるみで別れを惜しんだ。
「せがれを辛抱強く教えてくれて、ほんとにありがとう」
「いいえ、一緒に遊んでいたようなものですから」
「おねえちゃん、おいら達といっしょに行かん? 横笛おしえてやるからさ」
「横笛? 笛吹けるの。 すごいね」
「祭りでちょっぴり教わったんですよ。 子供が吹くと珍しがって、客寄せになるんで助かります」
 丸顔の母親が陽気に説明した。 家族ぐるみの商売は、子供も戦力だ。 だがこの仲のいい夫婦は、仕事のためというよりただ可愛くて、一人息子を連れ歩いているように見え、微笑ましかった。
 志津は源太の前にしゃがみこんで、いがぐり頭を撫でた。
「おねえちゃんね、久しぶりにおうちに帰るところなの。 だから残念だけど一緒に行けない。 おねえちゃんもお父さんお母さん、それにお兄ちゃんにも会いたいから」
 素直な源太はすぐに納得して、次の手を考えた。
「じゃ、こんどここの近くのお祭りに来たとき、会いに来て」
「うん。 いつ?」
「夏、だよね、父ちゃん?」
「そうだ、来年の夏、またここらを回るよ。 そんとき逢えたらいいね」
 旧知の仲のように、一家と志津は列車が出ていくまで手を振り合った。


 駅から出ると、木枯らしが吹きぬける中、人力車が何台か客待ちをしていた。 志津は残金を確かめてから、そのうちの二台を雇った。
 元山は恐縮して自分で金を出そうとしたが、志津は押しとどめた。
「伯父さまから充分な費用を渡されていますから」
「しかし僕も先生からお嬢さんを頼むと言われて、旅費をいただいたので」
「どちらが車賃を出しても、もとは伯父さまのお金ですし、ここはどうか私の顔を立ててください」
 志津は大人のまねをして言い張った。 書生の小遣いが少ないのを知っていたからだ。
 律儀な元山は、女中たちにかわいがられている美少年の石上や、裁判官の俊氏の手足になって情報を聞き出したり、書類を届けたりするのがうまいという島崎のように要領がよくなくて、おまけに家へ仕送りまでしているという噂だった。
 だから、こういう大きな用事を言い付かったときの仕事料は貴重だ。 志津は、なおも反論しようとする元山ににっこり笑いかけて、さっさと人力車に乗ってしまった。
 元山はしかたなく、困った表情でもう一台に荷物を載せ、乗り込んだ。


 やがて景色がなじみ深いものに変わり、ふるさとが近くなった実感が出てきて、志津は喜んだ。
 そのうち、次第に坂道が増えてきた。 そして人力車が鼎山〔かなえやま〕を登りはじめたとき、志津は車を止めてもらって、軽い身のこなしで降りた。
「懐かしいから、歩きます」
 急に車が軽くなった車夫は、狐につままれたような顔で、元気一杯の女学生を見つめた。







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