表紙

 お志津 26 慣れてきて



 一学年の授業は、小学校と大して変わらなかった。 ただ、図画工作の授業に美術史が加わり、理科に化学の実験が入った。
 そして週に三回ある体育のうち、一回が卓球になった。
「上流では校庭に網を張って、庭球をなさっているところもあるんですって」
 わざと上品ぶった口調で、馬車での帰り道に池島歌穂〔いけしま かほ〕が教えてくれた。 歌穂の父親は富山の出身で、文部省の役人をしていた。
「でもあれはお金がかかるし、球が大きいから校庭から飛び出て、ご近所迷惑になることもあるとか」
「それじゃ野球と同じだわ」
 一緒に帰っている牧留子〔まき とめこ〕が、陽気に口を挟んだ。
「うちの兄は野球に夢中でね、変な縫い目のある球を棒ッ切れで叩いて、むやみに走り回るの。 遠くへ飛ばせば飛ばすほど点が高くなるって、莫迦〔ばか〕みたいでしょう?」
 棒で球を叩くことにかけては、志津も見たことがあった。 見慣れない異国人が夏の暑さ避けだといって、隣の村に束になってやってきて、原っぱを勝手に使って遊んでいたのだ。
「それ、舟の櫂〔かい〕みたいな棒で打つ? 球を投げる人が、ぐるぐると腕を回して」
 歌穂は額に皺を寄せ、首をかしげた。
「ちょっと違うみたい」
「ああ、そちらはたぶん、クリケットじゃない? イギリス人がやってる、似たような遊びよ。 絵本で見たわ」
 留子が身を乗り出した。 留子の家は大きな瀬戸物屋で、外国人のお得意もいた。
「クリ……ケット?」
 妙な響きの言葉に、歌穂が笑い出した。 志津はその外国語を覚えておこうと考え、日本語にもじった。
「栗と、毛唐」
 残りの二人は、さらに笑いころげた。
「毛唐? そんな言葉は使っちゃいけませんって、母に言われたわ。 悪口だからって」
「でも、一度で覚えられるわね。 その、クリケットとやらを」
「お志津ちゃんって、本当に面白い人」
 もう同学年生の間では、志津は峰山さんではなく、お志津ちゃんで通っていた。


 新設校特有の伸び伸びした雰囲気の中で、秋学期はさしたる困難もなく順調に過ぎていった。
 寄宿生たちは、十二月末から始まる冬休みを楽しみにしていた。 上級生が穏やかなので、寮の居心地は悪くないそうだが、それでも故郷や親が恋しかった。
 志津は通学生だが、伯父のもとに泊めてもらっている身なので、やはり里帰りを心待ちにした。
 郵便制度が確立したため、故郷にはよく手紙を書き送っている。 特に母と兄には、書きたいことや相談したいことが山ほどあって、三日にあけず便箋に向かっていた。
 母からは、きちんと返事が来た。 兄の手紙は面白いのだが、ときどき間が空く。 男だからそんなに几帳面に書かないものなんだ、と、志津は自分を納得させて、あまり気にしないようにしていた。








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