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 お志津 20 入学式の朝



 そうこうしているうちに、ようやく入学式が明日に迫った。
 その日の午後、志津は貴代夫人に呼ばれて、主棟に幾つもある和室の一つに呼ばれた。
 先導したのは、背が高くて威厳のあるお末だった。 志津が挨拶してから入ると、十二畳の畳の半分は虹のような着物で覆い尽くされ、その向こうで貴代夫人が楽しげに微笑んでいた。
「さあ、こちらがあなたの通学着ですよ。 お母様から送っていただいたものがほとんどだけれど、うちで作らせたものも何枚かあります。 これなどは、そう」
 空いているところにちょこんと座り、志津はあっけに取られて着物の洪水を見つめた。
「これは……まるで呉服屋さんのようですね」
 貴代夫人はころころと笑い、たとう紙の上にきちんと置かれた花模様や市松、縞模様などの服を見やった。
「女学校というのは学問をする場所というだけでなく、生徒の父兄の方々に見られる場でもあるのです。 どんなときに良縁に恵まれるかわかりません。
 現に鹿鳴館では、舞踏会に女の踊り手の数が足らず、洋装のできる女学生が呼ばれて、華族や外交官の方とご縁ができたという話も聞いたことがありますしね」
 志津は驚いて、貴代夫人の誤解を正しにかかった。
「ご親切は身にしみてありがたいと思います。 ですが私には、もう許婚が決まっていまして」
 貴代夫人の眼が、さっと横にそれた。
 一瞬のことだったが、志津は見逃さなかった。
 夫人はすぐ落ち着きを取り戻し、何も聞かなかったように、志津の好きないたずらっぽい表情になって、背後から、二つ重なったたとう紙を新たに取り上げて、前に置いた。
「そしてこちらが、巷で評判の通学用の袴〔はかま〕ですよ。 色は、今流行の海老茶〔えびちゃ〕。 これを穿いて通学するから、海老茶式部なんて呼ばれているようね」
 整然とひだを取った、今でいえばスカート状の長袴を、志津は手に取って見た。 学校の教室は西洋風に椅子と机を使う。 座るとき着物の前が乱れないように、学生は男子も女子も、袴を着用する決まりになっていた。
 だが、動きやすそうな袴を見た志津の考えは、足元の乱れを隠せるという点で、別のところに飛んだ。
 これを着れば、楽に木に登れる。
 思いっきり走ることもできる。
 着物を汚す心配なく、どこでも座れる!
「こういう袴って、いいですねえ」
 志津は心から、そう言った。




 翌日は早くから髪結いさんを呼んで、貴代夫人と共に志津も、通学用の髪型に結ってもらった。
 頭の前半分の髪を持ち上げて、かもじを入れてふくらませ、後頭部の上でまとめる。 残りの髪は結わずに、長く垂らした。 和風と洋風の間を取ったような髪形で、ひさし髪と呼ばれていた。
 晴れの式なので、着物は華やかな花柄にした。 付き添いは夫人だけでなく、裁判官の夫君も忙しい時間を割いて、わざわざ出席してくれて、志津は嬉しかった。
 






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