表紙

 お志津 18 無聊の日々



 最初の二日間、志津はおとなしくしていた。
 その間に山根家の住人と、日々の暮らし方や規則を頭に入れていたのだ。
 まず、女の使用人が五人いることがわかった。 家事を束ねる女中頭がいて、その下に経験豊かな料理人と小間使いが一人ずつ、そして若手の見習が二人だ。
 男性はもっとわかりにくかった。 庭掃きなど外の雑用をする中年男が一人。 後は家の中に若い人が何人もぴょこぴょこ現われて、書生なのか食客〔しょっかく:いそうろうのこと〕なのか、それとも下男なのか、区別がつかない。 ともかく、こっちも五人以上いるようだった。
 山根裁判官の父は一昨年に亡くなり、母親は志津の部屋と反対側の離れにいるということだったが、あいにく風邪を引いて臥せっていて、まだ会えなかった。


 人手は充分足りていて、志津が家事を手伝う必要は全然なかった。 うっかりすると、新参の女中のお絹が、志津の寝泊りする部屋までやってきて、掃除を申し出る有様だ。
「お嬢様のお部屋を掃かせていただきます」
 元気な声と共に障子がパッと開いて、ちょうど千代紙を畳に散らかしていた志津をびっくりさせた。
「え? いいんです。 自分でやるから」
「でも奥様が、離れをきれいにしていらっしゃいとおっしゃいましたから」
 苦労して丁寧な言葉を使おうとしている。 きりりと襷〔たすき〕をかけた袖から出ている手が、水仕事でふやけているのを見て、志津は自分と一つ二つしか年が違わない少女が懸命に働いているのが申し訳ないような気がしてきた。
「離れの他の部屋は空いているようですね」
「はい、女のお客様はお嬢様だけですから」
「私は客じゃないんです」
 志津はまじめに答えた。
「ここから学校に通わせていただく、ただの間借り人です。 だから気を遣わないでくださいね」
「まあ、お嬢様ったら」
 少女は豪快に笑い、あわてて口を抑えた。
「失礼いたしました!」
 この人は明るいし、物怖じしない。 いい話し相手になってくれそうだ。


 縦に長く、奇妙なほど静けさに包まれた山根邸では、どうしても暇をもてあましてしまう。 貴代夫人とは食事のときや午後のお茶の時間に顔を合わせ、話も弾むのだが、夫人は忙しすぎて、長く志津の相手をする時間がなかった。
 社交夫人は大変だ、という母の言葉が思い出された。 午前中は買物や習い事、午後には毎日のように客が訪れ、歓談が夜に及ぶこともあった。
 その合間を縫って、貴代夫人は子供たちの面倒をよく見ていた。 たまに夫人の涼しげな声が男の子たちの歓声に混じって聞こえてくるのを、志津は楽しみにしていた。 故郷では始終、子供の遊ぶ声を耳にしていたからだ。
 おのぼりさん三日目にして、志津はもう故郷が恋しくてたまらなくなっていた。


 だから、向こうから飛び込んできた話し相手を、むざむざ逃がす手はない。 志津はできるだけ無邪気な笑顔を、少女に向けた。
「もう離れの掃除は終わったんでしょう、お絹さん?」
 箒とはたきを持って立っていたお絹は、目をぱちくりさせて答えた。
「お絹さんなんて。 呼び捨てしてください」
 そんなことは出来そうにない。 実家の母は、「お」はつけないものの、使用人をみな「さん」づけで呼んでいた。
「じゃ、ちゃんをつけたらどうでしょう。 お絹ちゃん」
「えっ?」
 お絹は箒を横に倒すと、ゆっくり畳に座りこんだ。
「田舎じゃずっと、そう呼ばれてました。
 あっちじゃ今ごろは、渋柿の皮を剥いて、糸に繋いで廊下に干すんですよ」
「あ、うちのほうも」
 思いついて、志津は赤い折り紙を取り、すばやく柿の形に折りあげた。







表紙 目次文頭前頁次頁
背景:kigen
Copyright © jiris.All Rights Reserved
SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送