表紙

 お志津 16 伯父の家へ


 それから一週間後に、寛太郎も学校の寮へ戻っていった。 志津も見送りに出たが、駅までは送っていかなかった。


 五日後には、志津自身が町へ行くことになった。 市谷〔いちがや〕に咲〔さき〕の兄、山根俊〔やまね しゅん〕が住んでいて、飯田橋〔いいだばし〕にある清徳女学館とは目と鼻の先なので、下宿させてもらうことになったのだ。
「いいこと? 向こうにお世話になったら、決しておてんばをしてはなりませんよ。 伯父様は裁判官なのだから、世の規則は人一倍守らないといけないの。 世間様になじられないようにね」
「はい、お母様」
 志津はおとなしく約束した。
「貴代〔たかよ〕伯母様は、志津も知っている通りさばさばした明るい方だけれど、だからと言って甘えすぎては駄目ですよ。 きちんとお片づけをし、勉学に励むこと。 わかったわね?」
「はい、お母様」
 そこで母の咲は、娘の着替えをきちんと詰めた柳行李〔やなぎごうり〕を眺めて、言葉を途切らせた。
 それから唇を噛みしめ、ぽつりと言った。
「年末まで寂しくなるわね。 定昌〔さだまさ:志津の兄〕も、そう言っていたわ」
 志津は目を上げた。 さっき別れを告げたとき、兄は元気そうに言っていたのだ。
「伯父さんのところが楽しかったら、年末年始は無理に帰ってこなくてもいいよ。 行き帰りの旅費もかかるしな」
 志津はむくれて、こう言い返したのだった。
「そんな冷たいこと言うんなら、歩いてでも帰ってくるから」


 行きは、父の義春が付き添って市谷まで送っていって、義兄夫妻に手土産持参で、ねんごろに挨拶した。
「ふつつかな娘ですが、言えば納得する子ですから、どうか遠慮なしに叱ってやってください」
「いや、こちらこそ大事なお嬢さんを預からせていただいて恐縮です。 妻が喜んで、三日も前から部屋を片付けていますよ。 うちには女の子がいないのでね」
 家長で裁判官の俊が応対する傍で、妻の貴代がにこにこしていた。
 俊の最初の妻は、美人のほまれ高い仲子〔なかこ〕だった。 似合いの美男美女だともてはやされたが、二年後にははかなく病気で世を去り、貴代は後妻として六年前に松根家に入った。
 そして今までに三人の男子を産み、これで家系は安泰だと周囲に褒められていたものの、女子には恵まれていなかった。


 父は一晩、義兄の家に泊まり、翌日は出版社との打ち合わせと本の購入に出歩いて、夕方に高木村へ帰っていった。
 玄関先で志津と別れるとき、父はかがみこんで、娘の手に紙包みを押し込んで囁いた。
「せっかくの機会だ。 友達を作れ。 教師に睨まれない程度に、勉強もやっておくんだよ」
「はい、お父様」
 志津は目をきらめかせて答えた。 母は真面目で折り目正しいが、父はひょうきんなところがあって、昔から志津とよく気が合った。


 自分の部屋に戻るとき、廊下を歩きながらそっと紙包みを開けてみると、中には色とりどりの金平糖が、両手に余るほど一杯入っていた。









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