表紙

 お志津 15 故郷へ帰る


「ただいまー!」
 志津が玄関の戸を開けて、大声で帰宅を知らせると、廊下の奥から活発な足取りで婦人が出てきた。
「おかえり」
 その婦人のことを、敦盛は何回か村で見かけたことがあった。 いつも明るくて、元気に歩いているか、道端で陽気に立ち話をしていた。 通りすがりに目が合うと、にっこり会釈をしてくれる。 感じのいい人だなと思っていたが、ここへ来てわかった。 志津の母親だったのだ。
 遠慮して玄関の外に立っている敦盛を見て、志津の母はすぐ事情を悟った。
「こんばんは。 娘を送って下さったんですか? わざわざすみませんねえ」
「いいえ、戻る途中でしたから」
 敦盛が泊まっている郡家と、この峰山本家とは方角が正反対だが、志津の母は特に何も言わず、にこにこと挨拶した。
「志津の母の峰山咲〔みねやま さき〕です。 あなたは寛太郎さんのお友達ですね?」
「はい、鈴鹿敦盛です」
「ちょっと上がって、お茶でも飲んでいかれたら?」
「ありがたいですが、明日故郷へ戻るので、荷造りをしないといけません。 ここでお暇〔いとま〕します」
「そうですか。 お帰りになるの。 寛太郎さんも一緒に?」
「いや、郡は一週間後です。 うちにも来てほしいんですが、弟や妹がぞろぞろいる上に、こちらのように家が大きくないもので、泊まってもらうにも部屋がなくて」
「まあ、ごきょうだいが沢山? いいですねえ」
 心からの口調で、咲は言った。
「子供はいいものです。 うちも二人恵まれました。 どちらにもできるだけ幸せになってほしい」
 口元がかすかに震えたが、咲の笑顔はゆるがなかった。


 敦盛が一礼して帰りかけると、志津が門までついてきた。
「明日、帰っちゃうの?」
 思いのほか残念そうな問いかけだった。 敦盛は足を止め、自分でも驚くことを口走った。
「君が東京へ進学したら、きっと会いに行くよ」
 志津は小首をかしげ、つやつやした前髪の下から敦盛を見上げた。
「じゃ、教えるね。 進学するのは清徳〔せいとく〕女学館だから」
 せいとく。 敦盛は訊き返した。
「どんな字を書く?」
「清らかで徳が高いと書くの」
 そう答えてから、志津はくすくす笑い出した。
「私には恐れ多い名前だな」
 清徳女学館か。
 敦盛は、その名前をしっかり頭に刻み込んだ。




 翌日の昼過ぎ、敦盛は汽車で横浜に向かった。
 横浜は、日本で一番はやく鉄道が開通した場所だ。 その後、都内では、汽車だけでなく馬車鉄道ができていて、ずいぶん交通が便利になったが、地方はこれからというところが多かった。
 鉄道の駅は、高木村には作られていない。 行きは元気に歩いてきた敦盛だったが、帰りは土産をたくさん貰ったため、最寄りの駅まで人力車に乗せてもらうことになった。
 子供たちになつかれた敦盛には、見送りが多かった。 村一番の健脚である米吉〔よねきち〕が引き手になり、盛んに人々が手を振る中、人力車が走り出すと、息子の寛太郎と送りに出てきた延昌〔のぶまさ〕が呟いた。
「前は籠で、えっさえっさと運んだものだが」
「人力のほうが車輪があるだけ、引くほうも楽ですよ」
 寛太郎が日差しの中で手をかざしながら、気軽に答えた。
「異人たちは馬に乗って闊歩〔かっぽ〕していますが、わが国の馬はあんなに大きくないので、馬車を引かせたり大きな人間を乗せたりするのは可哀想です」
「なんでもせっせと西洋の馬を入れて改良して、大きな馬体にしているそうじゃないか。 そのうち街中を巨大な馬で駆け回る迷惑な輩〔やから〕が、うようよ出てくるかもしれんぞ」
「そうなる前に、機械で動く車が発達しますよ」
 寛太郎は若者らしい澄んだ目で、そう言いきった。








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