表紙

 お志津 5 夏の風物詩


 山道を抜けると、麓の分かれ道の角にお地蔵様が見える。 江戸中期に一里ほど離れた池で息子を亡くした商人が、供養のために寄進した像で、夏は日よけに、冬は雪よけに小さな菅笠〔すげがさ〕をかぶっているのが可愛らしかった。
 いつものように、志津はその像の前で足を止めて手を合わせた。 それから元気に走り出して、何軒かの小さな店と宿屋が並んでいる村の目抜き通りにさしかかった少年たちに追いついた。
 時刻は午後の二時ごろ。 一番暑い時間帯だ。 まだ新暦六月半ばとはいえ、今年は早くから気温が上がっていて、日向は真夏並みにむんむんとしていた。
 飲み屋の主人宝井弥之助〔たからい やのすけ〕が手桶とひしゃくを手に、店から出てきた。 前の道に水撒きをするつもりらしい。
 その目に、三人の若者が活発な足取りで、こっちへ向かってきているのが映った。
「おぅ、カンタローちゃん、お帰り! 学校が休みになったかね?」
 カンタローと呼ばれても、寛太郎は志津に対してのようには怒らず、愛想よく学生帽を取って挨拶した。
「しばらくぶりです、弥之助おじさん。 新学期が始まる九月末まで、長い夏休みなんです」
「そうかね。 さぞかしおっ母さんが待ちかねてござるだろう」
「はい、これからすぐ帰ります」
「で、そちらのお方は?」
「友人の鈴鹿です」
「初めまして」
 敦盛も帽子を取って、頭を下げた。 弥之助は彼を眺めて気に入ったらしく、乱杭歯〔らんぐいば〕を覗かせて、にこりと笑いかけた。
「こりゃご丁寧に。 何もない小さな村だが、ゆっくり逗留〔とうりゅう〕していきなされ」
「はい、ありがとうございます」
 敦盛の声は低く、音楽的な響きがした。


 横ではねている志津には、誰も注意を払わなかった。 大人たちは志津を、まだほんの子供だと思っているのだ。 志津のほうもそういう扱いに慣れていて、むしろ利用してのびのびと振舞っていた。
 挨拶が済むと、少年たちはまた歩き出した。 そこへ、子供が三人走ってきた。 一人はとんぼに糸を結びつけて飛ばしていた。
「あれ、カンタローにいちゃん!」
 とんぼの子が叫び、寛太郎にどんとぶつかってきた。 末の弟なのだ。
「松か」
 笑いながら弟を抱きあげて、寛太郎は重みにたじろいだ。
「大きくなったな、おまえ」
 松とよばれた郡松治郎〔こおり まつじろう〕は、兄の腕の中でじたばたと暴れた。
「やめて! おろしてよ!」
「よしよし」
 寛太郎が弟を解放してやると、松治郎は短い着物を膝下まで引っ張り伸ばし、胸を張って振り返った。
「おれ、兄ちゃんと帰るから。 このとんぼ、やるよ」
 たちまち友達二人の手が、競争でとんぼの糸を掴み取ろうとした。 それを後ろから、志津がサッとひったくった。
「あっ」
「志津ちゃ、ずるい!」
 志津は笑いながら、ちび二人の手の届かない高さにとんぼを持ち上げた。
「二人に一匹じゃ足りないよ。 お姉ちゃんがもう一匹採ってあげるから、一緒に行こう」
「うん!」
「とんぼ、どの辺りにいた?」
「あっちの小川のそば」
「よし、じゃ、かけっこだ」
 三人はすぐに駆け出し、あっという間に姿が見えなくなった。






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