表紙

面影 85


 先頭を切って歩いてくる男に、進藤は短く一礼した。
 男は機嫌よく一同を見回した。
「かしこまらんでよし。 楽しんどるようやね」
「はい」
 進藤は低く答えた。 男のすぐ後ろにいたのっぽの若者は、進藤に目もくれず、ひたすらゆき子に視線を置いていたが、やがて高い声を出した。
「まこと匂うような美しさだ。 梅野さんの部下風情には分が過ぎる。 どうだ? わしについてこんか? 加賀町あたりにお屋敷のような家を持たせてやってもよいぞ」
 ゆき子は顔を背けるようにして下を向いた。 よほど位が高いか名のある家柄なのだろうが、初対面でこの露骨な誘いにはあきれるしかなかった。 おまけに鼻にかかった横柄な話しぶり。 すべてが不快だ。
 梅野と呼ばれた進藤の上司が、笑いながら口を入れた。
「まあまあ、山田様なら黙っていてもあまた女がなびいてきます。 うちの進藤の連れはそっとしておいてやってください」
 すぐに進藤が後を継いだ。
「このところ具合が悪かったき、お目にかけるのが遅れました。 家内のゆき子です」
 お次もお明も、石のような顔をして黙っていた。 ゆき子は驚きで頭の芯がしびれたが、とっさに腰をかがめて男達に挨拶した。

 とたんに山田は、目に見えて不機嫌になった。
「女房か! 生意気に!」
 こんな美人を娶って、とでも付け加えたかったのだろうが、自尊心が許さなかったらしい。 口をぐっと結んで、さっさと歩き出した。
 梅野は平然と立ったままでいた。
「そうか、里から呼び寄せたのか。 いい嫁女だ。 大事にせいよ」
「はっ」
「鉄漿〔おはぐろ〕はしないようじゃな。 新時代の女子としては、よきことだ。 あんた、体を大事にな」
 はっと顔を上げたゆき子ににこりとして、梅野は大股に連れを追っていった。

 少しその姿を見送った後、進藤は苦笑混じりに呟いた。
「梅野さんには見抜かれとうな」
「いいんですよ、あのバカ殿様にわからなきゃ」
 お次が、男たちの後ろ姿に顔をしかめると、つられてお明もイーッと舌を出してみせた。



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