表紙

面影 86


 翌日から、ゆき子は進藤家の奥様扱いになった。 昼間は表座敷に出て家事をまとめ、献立を作り、大掃除の指図をする。 ゆき子はお次を立てて、最小限の口出しだけにしたが、采配がいいので家中が手際よく片付いた。
 夕刻、あげて干していた畳を敷き直し、すっきりとなった部屋を見回して、お次は満足そうにうなずいた。
「きれいになりました。 ゆき子様は人を使うのに慣れていらっしゃいますね」
 はっとして、ゆき子は数え直していた障子紙の束から顔を上げた。 襖を戻しながら、お次はさりげなく言い添えた。
「きっとお武家のお嬢様か奥方ですね。 床の間の飾り方をご存じですから」
 刀掛けに香炉、冬にふさわしい掛け軸と、寒菊を活けた壷……すべてをゆき子は自然に探し出して並べていた。 いろんなことに気を配りながら無意識にやっていたのだ。
 やるべきことがこんなにきっちりと身についているにもかかわらず、頭にはほとんど何も浮かんでこない。 体と心がばらばらなまま、早くも二ヵ月以上が過ぎようとしている。
 部屋の隅から見上げた顔が、あまりにも心細げだったので、お次は襖を置いてそばに駆けつけ、膝を折って座ると、ゆき子の手を取った。
「そんな困った顔をなさらないでください。 思い出しますよ。 ええきっと。 それで、何もかもうまく行きますって」
 しっかりと筋が通っているにもかかわらず、どこかはかなげで、庇ってあげたいと思わせるものが、ゆき子には備わっていた。


 従卒の賀川と柳瀬も、じきにゆき子を奥様扱いするようになった。 彼らも、そしてお次たちも、ゆき子が進藤と結ばれればいいと思っているようだが、肝心の二人は特に近づくようなことはなく、夜になるとゆき子は以前同様、離れに戻って寝んでいた。


 進藤は、体が弱いというふれこみの『新妻』を残して、年末の打ち合わせに出かけた。 特に訪れる者もなかったため、ゆき子はくつろいで、お明とお手玉に興じていた。
「うちのおばさんの故里じゃ、お手玉のことをおじゃみと言うんですよ」
「このお手玉はいろんな布を縫い合わせてあって綺麗ね。 私のは俵型で、お襦袢の残り布を使ってお汀〔てい〕が縫ってくれてね。 でも小さかった私には大きすぎて、二つ一緒につかめなかった……」
 そう楽しげに話していて、ゆき子は自分に驚いた。
 お汀…… 当たり前のように口からこぼれ出てきた名前と、日の当たる広い縁側の思い出。 ゆき子はしびれたようになった。
――これは、田舎……? 前庭には立派な植え込みがあって、子供たちが遊んでいる――
「武ちゃん。 武三〔たけぞう〕兄ちゃん」
 夕焼けに染まった庭に目をすえたまま、ゆき子はぼんやりと呟いた。
 



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